【Blind DAR】 Nor vs. Sato in Serafimovitch 1942
Posted: 2006.Oct.13(Fri) 02:33
あ〜、サトさんはここ見ちゃダメよ。見てない?じゃ、始めます。
え〜、現時点ではまだ対戦は始まっておりません。現在、後攻の私が編成&配置を終了してファイルを送ったところです。サトさんの配置が完了したらそのまま第一ターン開始とあいなります。というわけで、私は配置まで完了しているのですが、その詳細について公表するには少し時間がかかりそうです。
まずは編成前の能書きなどをお楽しみください。いや、楽しくないってのはナシで。
【歴史的背景】
セラフィモヴィッチはスターリングラードの北西約130kmにあるドン河沿いの街です。1942年6月末に独軍のブラウ作戦が開始され、ドン河南部のソ連軍はことごとく敗退します。しかし、スターリングラードに向かうドイツ軍には長大なドン河南岸をカバーできるほどの後方支援部隊はなく、戦線を縮小するために湾曲する河岸沿いの防御はあきらめて直線的な防衛線を敷かなければなりませんでした。ソ連軍はこの機を逃さず直ちに反撃に移り、盛んにドン河を超えて橋頭堡を広げようとしました。セラフィモヴィッチもそんな戦いが行われた場所のひとつでした。
【ソ連軍歩兵部隊】
42年7月中旬の時点でセラフィモヴィッチにいたのは第304狙撃師団で、30km離れたクレツカヤに第278狙撃師団がいたようです。7月28日、A.I.ベロフ大佐率いる第124狙撃師団の一部がセラフィモヴィッチに入り、橋頭堡を広げるべく前進しました。30日には、第63狙撃師団の2個連隊も同様に進出しています。8月上旬のソ連軍の攻撃はことごとくイタリア軍に封じ込められたようですが、中旬以降はソ連軍も頑張り、一進一退の攻防の末、結果的には橋頭堡拡大に成功したようです。8月にセラフィモヴィッチ周辺にいたソ連軍は、ほぼこの4個師団だけのようなので、各師団の編成を調べてみました。
<第63狙撃師団>
226,291,346歩兵連隊 26砲兵連隊 10榴弾砲連隊 273独立対戦車大隊 109/347対空中隊 170工兵大隊 53偵察中隊 175迫撃砲大隊
<第124狙撃師団>
406,622,781歩兵連隊、以下不明
<第278、304狙撃師団>
全く不明
というわけで、第63師団以外はほとんど何もわかりません(泣)。しかし、番号の大きい師団は敗残部隊(ブラウ作戦のせいで事欠かなかった)の寄せ集めによる急造師団でしょうから、戦力も装備も期待できないことはほぼ確かでしょう。
【ソ連軍戦車部隊】
セラフィモヴィッチ周辺にどんな戦車がいたのかは、断片的な資料しかなく決定的な証拠はほとんどありません。これらから推測できる戦車の種類をまとめると次のようになります。
・KV-1、T-34、T-70、T-60、T-26、BT-7、M3 Lee
一番興味深いのは、レンドリースのM3中戦車があった可能性ですが、ソ連側の各種レンドリース記録を調べても裏は取れませんでした。KV系の重戦車がいたという記述は、イタリア側資料にある(イタリア兵は手製の火炎瓶で重戦車を含む戦車10両を破壊した)のですが、時期と場所が明確ではありません。その点、一番確かなのはT-34があったという記録です。
問題はどのくらいの数があったのかですが、イタリア側資料では約50両という数字が挙がっているようです。ソ連側資料では、セラフィモヴィッチには第21軍に所属する第652独立戦車大隊がいたことが兵士の手記で明らかになっています。この大隊は定数30両(T-34×20、T-70/T-60/T-26/BT-7×10)で、8月11日の時点で少なくともT-34を7両保有していたことがわかっています。
イタリア軍の8月の戦闘報告では、合計47両のT-34を撃破したことになっており、数が食い違うのですが、イタリア兵も興奮してただろうし、ロシア兵は戦車を修理しながら戦ったという記録があるので、まあ良いことにしましょう(笑)。
【イタリア軍の活躍】
伊軍についてはあまり調べていませんが、ソ連軍とは比較にならないほど豊富な情報があるようです。というのも、イタリア軍はこのセラフィモヴィッチ周辺の戦いでいくつもの素晴らしい戦果を挙げているからです。そのうち最もよく知られる(少なくともイタリア人には)ものは、サヴォイア騎兵連隊の活躍です。8月24日、約600名の同騎兵連隊は、3個大隊約2000名のソ連歩兵陣地に対して「アヴァンティ、サヴォイア!」の号令一下果敢な突撃を敢行し、2個大隊をほぼ殲滅、1個大隊を敗走させるという大勝利をあげ、捕虜500、重砲4、迫撃砲10、機関銃50を捕獲しています。セラフィモヴィッチ戦全体でみても、イタリア軍は1700名の損害を出しながら捕虜1600をとっています。イタリア軍的には、誇るべき大勝利と言えるでしょう。
【イタリア軍戦力】
場所や時間を指定した上で史実重視の編成を行うということは、戦闘に参加した部隊がある程度特定できてしまうわけで、その気になれば対戦相手の編成もかなり予想できてしまいます。実際の戦場では、敵部隊の概要や一般的な装備はある程度わかっていたでしょうから、このこと自体は特に不公平ではないでしょう。でもあまり調べすぎると対戦の興が削がれるので、最低限必要なことだけを調べてみました。
<戦車>
L3豆戦車、L6軽戦車、47mm砲装備のセモベンテ
<対戦車火器>
20mmゾロターンATR、20mmAA、47mmATG
<主力歩兵>
ベルサリエーリ連隊
というわけで、戦車系ははっきり言ってショボイことがわかって一安心(笑)。しかし、中隊以上の規模で攻めてこられると軽戦車といえどもあなどれません。それに歩兵は最優秀のベルサリエーリ(狙撃兵)で、これが大隊規模で来るとどう対処していいのやら。おまけにこの部隊は自動車化されているはずなので、足の速さを活かして速攻をかけられると、我がソ連軍としてはかなりツライ展開になりそうです。上述の騎兵連隊の使用については、サトさんも悩みどころでしょう。高視界で遮蔽物の少ない今回のマップで、騎兵が史実で見せたような活躍ができるかどうか。もう一つ、変わった部隊としてはクロアチア義勇連隊もこの戦いに参加しています。
え〜、現時点ではまだ対戦は始まっておりません。現在、後攻の私が編成&配置を終了してファイルを送ったところです。サトさんの配置が完了したらそのまま第一ターン開始とあいなります。というわけで、私は配置まで完了しているのですが、その詳細について公表するには少し時間がかかりそうです。
まずは編成前の能書きなどをお楽しみください。いや、楽しくないってのはナシで。
【歴史的背景】
セラフィモヴィッチはスターリングラードの北西約130kmにあるドン河沿いの街です。1942年6月末に独軍のブラウ作戦が開始され、ドン河南部のソ連軍はことごとく敗退します。しかし、スターリングラードに向かうドイツ軍には長大なドン河南岸をカバーできるほどの後方支援部隊はなく、戦線を縮小するために湾曲する河岸沿いの防御はあきらめて直線的な防衛線を敷かなければなりませんでした。ソ連軍はこの機を逃さず直ちに反撃に移り、盛んにドン河を超えて橋頭堡を広げようとしました。セラフィモヴィッチもそんな戦いが行われた場所のひとつでした。
【ソ連軍歩兵部隊】
42年7月中旬の時点でセラフィモヴィッチにいたのは第304狙撃師団で、30km離れたクレツカヤに第278狙撃師団がいたようです。7月28日、A.I.ベロフ大佐率いる第124狙撃師団の一部がセラフィモヴィッチに入り、橋頭堡を広げるべく前進しました。30日には、第63狙撃師団の2個連隊も同様に進出しています。8月上旬のソ連軍の攻撃はことごとくイタリア軍に封じ込められたようですが、中旬以降はソ連軍も頑張り、一進一退の攻防の末、結果的には橋頭堡拡大に成功したようです。8月にセラフィモヴィッチ周辺にいたソ連軍は、ほぼこの4個師団だけのようなので、各師団の編成を調べてみました。
<第63狙撃師団>
226,291,346歩兵連隊 26砲兵連隊 10榴弾砲連隊 273独立対戦車大隊 109/347対空中隊 170工兵大隊 53偵察中隊 175迫撃砲大隊
<第124狙撃師団>
406,622,781歩兵連隊、以下不明
<第278、304狙撃師団>
全く不明
というわけで、第63師団以外はほとんど何もわかりません(泣)。しかし、番号の大きい師団は敗残部隊(ブラウ作戦のせいで事欠かなかった)の寄せ集めによる急造師団でしょうから、戦力も装備も期待できないことはほぼ確かでしょう。
【ソ連軍戦車部隊】
セラフィモヴィッチ周辺にどんな戦車がいたのかは、断片的な資料しかなく決定的な証拠はほとんどありません。これらから推測できる戦車の種類をまとめると次のようになります。
・KV-1、T-34、T-70、T-60、T-26、BT-7、M3 Lee
一番興味深いのは、レンドリースのM3中戦車があった可能性ですが、ソ連側の各種レンドリース記録を調べても裏は取れませんでした。KV系の重戦車がいたという記述は、イタリア側資料にある(イタリア兵は手製の火炎瓶で重戦車を含む戦車10両を破壊した)のですが、時期と場所が明確ではありません。その点、一番確かなのはT-34があったという記録です。
問題はどのくらいの数があったのかですが、イタリア側資料では約50両という数字が挙がっているようです。ソ連側資料では、セラフィモヴィッチには第21軍に所属する第652独立戦車大隊がいたことが兵士の手記で明らかになっています。この大隊は定数30両(T-34×20、T-70/T-60/T-26/BT-7×10)で、8月11日の時点で少なくともT-34を7両保有していたことがわかっています。
イタリア軍の8月の戦闘報告では、合計47両のT-34を撃破したことになっており、数が食い違うのですが、イタリア兵も興奮してただろうし、ロシア兵は戦車を修理しながら戦ったという記録があるので、まあ良いことにしましょう(笑)。
【イタリア軍の活躍】
伊軍についてはあまり調べていませんが、ソ連軍とは比較にならないほど豊富な情報があるようです。というのも、イタリア軍はこのセラフィモヴィッチ周辺の戦いでいくつもの素晴らしい戦果を挙げているからです。そのうち最もよく知られる(少なくともイタリア人には)ものは、サヴォイア騎兵連隊の活躍です。8月24日、約600名の同騎兵連隊は、3個大隊約2000名のソ連歩兵陣地に対して「アヴァンティ、サヴォイア!」の号令一下果敢な突撃を敢行し、2個大隊をほぼ殲滅、1個大隊を敗走させるという大勝利をあげ、捕虜500、重砲4、迫撃砲10、機関銃50を捕獲しています。セラフィモヴィッチ戦全体でみても、イタリア軍は1700名の損害を出しながら捕虜1600をとっています。イタリア軍的には、誇るべき大勝利と言えるでしょう。
【イタリア軍戦力】
場所や時間を指定した上で史実重視の編成を行うということは、戦闘に参加した部隊がある程度特定できてしまうわけで、その気になれば対戦相手の編成もかなり予想できてしまいます。実際の戦場では、敵部隊の概要や一般的な装備はある程度わかっていたでしょうから、このこと自体は特に不公平ではないでしょう。でもあまり調べすぎると対戦の興が削がれるので、最低限必要なことだけを調べてみました。
<戦車>
L3豆戦車、L6軽戦車、47mm砲装備のセモベンテ
<対戦車火器>
20mmゾロターンATR、20mmAA、47mmATG
<主力歩兵>
ベルサリエーリ連隊
というわけで、戦車系ははっきり言ってショボイことがわかって一安心(笑)。しかし、中隊以上の規模で攻めてこられると軽戦車といえどもあなどれません。それに歩兵は最優秀のベルサリエーリ(狙撃兵)で、これが大隊規模で来るとどう対処していいのやら。おまけにこの部隊は自動車化されているはずなので、足の速さを活かして速攻をかけられると、我がソ連軍としてはかなりツライ展開になりそうです。上述の騎兵連隊の使用については、サトさんも悩みどころでしょう。高視界で遮蔽物の少ない今回のマップで、騎兵が史実で見せたような活躍ができるかどうか。もう一つ、変わった部隊としてはクロアチア義勇連隊もこの戦いに参加しています。