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Battering at Buna    ~domo戦記8

Posted: 2007.Sep.16(Sun) 16:06
by domo
そう、あれも暑い季節だった ―

歩いても歩いても目の前に広がるのは木々に覆われた密林であった。
現地の人間ですら住んでいない土地であった。
そしてもう誰もがこの光景にうんざりしていた。


マラリヤをひき起こす蚊と戦い、そして東洋の人種と戦うことが、
欧州で起こっている戦争とは、これほど何から何まで異なるものだとは想像すらしていなかった。


domo戦記8 ―

物語はまだ終わらない

皆様、敬老の日おめでとうございます

Posted: 2007.Sep.17(Mon) 17:56
by domo
― 序章 ―

南半球のオーストラリアの北側にあるニューギニア島にはSPWAWばかりしている読者の方なら一度は行ったことがあるだろう。
現在は島の西部をインドネシアが、東部をパプアニューギニアが占めている(そうです)。

この島で昔々、日本軍とアメリカ・豪軍が戦ったのである。

それでは恒例のめんどくさい戦史の授業に入ろう。


太平洋戦争の第1段階で日本軍は真珠湾攻撃、シンガポール攻略、南方作戦(東南アジア)の勝利を重ね、続く第2段階としてアメリカとオーストラリアのシーレーンを遮断し、オーストラリアを孤立させようとする「FS作戦」(FSはフィジー、サモアの頭文字)を立案していた。

その第一弾が「MO作戦」ポートモレスビー作戦であった。
これは日本陸軍と日本海軍でポートモレスビーを攻略するものであったが、このポートモレスビーは日本軍が前線の拠点としているラバウル飛行場が連合軍の爆撃圏内であったため日本軍にとってはなんとしても制圧しなければいけなかったが、それ以上に連合軍にとってもこのポートモレスビーはオーストラリア本土への最後の防衛線となっており、ここを絶対守らなければならなかった。

しかし1942年5月の珊瑚海海戦と6月のミッドウェー海戦で日本海軍は敗北を喫してしまった。

このため海路によるポートモレスビー攻略が挫折に終わってしまったことで、陸路によるポートモレスビー攻略を企てたのが「レ号作戦」(スタンレー作戦)(事前にチェックすることじゃーない)である。

すなわちニューギニアの東端から標高4,000mのスタンレー山脈を越えて、ジャングルの中を約200キロ歩きポートモレスビーに進撃するというものである。
(無茶苦茶な作戦です)

ここに1945年の終戦まで続いたニューギニアの戦いが始まるのである。

(ハアハア ここまで書くのにまる一日かかった。しかもまだ終わってない・・)
(こんなこと軍事オタの皆様なら当然ご存知なのでしょう。なんだかなあ・・)
(正直言って戦史はあまり詳しくありません。つうか、誰もこんなとこいちいち読んでねーだろ)

(今日一日分の愚痴がでてしまいました。すいません)

毎日欠かさないのはキムチとspwaw

Posted: 2007.Sep.18(Tue) 20:06
by domo
ニューギニアを巡る戦いはポートモレスビー作戦を皮切りになんと終戦を迎えるまで3年以上続いた。
日本軍にとっては圧倒的な物量で押し寄せる連合軍を相手に一方的な防戦になったことは言うまでない。
(もう言うことないです。ほとんど10倍以上の連合軍と戦って最後は全滅・玉砕ですから)


SPWAWのシナリオの中にもニューギニア戦線を題材にしたものはいくつかある。
(海外のシナリオデザイナーにとっては作りがいがあるのだろうか、勝ち戦だし)

今回自分もそうであったが、なぜか日本軍のシナリオをやるというのは、どれをやろうかと選ぶ時点ですでにしんどい。

で、なぜにしんどいのか考えてみるといくつか思い当たることがある

月見バーガーはまあまあ

Posted: 2007.Sep.21(Fri) 10:08
by domo
アメリカがオーストラリアからフィリピンへという反攻作戦「ウォッチタワー作戦」(望楼作戦)を決定したのは1942年の2月である。
これは2本建てとなっており、
 1.ソロモン諸島を北上し、ラバウルからフィリピンへ
 2.ニューギニアからフィリピンへ

で、フィリピンといえば、そうすぐにピン!と来る人がいます。
マッカーサーです。

1の方はニミッツ提督が、2の方をマッカーサーが担当することになったんだが、マッカーサーは日本軍の攻撃で「I Shall return」(フィリピンの米兵士は便所に行くときに冗談で言った)と言い残してフィリピンを脱出したぐらいですから、「2本は必要ない!ニューギニアからフィリピンの一本だけでいい」と言い張ったそうです。


そしてマッカーサーは本国に兵力を要請し、42年の7月には米第32、41師団と豪第7師団の3個師団のおよそ2万名が、そしてポートモレスビー飛行場に300機の戦略爆撃機が準備されたのである。

いやそれだけではない。
日米ニューギニア決戦の第一ラウンドの舞台となるブナから30キロしか離れていないドボズラにも飛行場とそこからブナまでの道路までも作り、万全の態勢を整えたのである。

ところで一方の日本軍はどうだったのか。

SPWAWをやっておられる方ならば、そんなことぐらい知っておるわい!と言われるかと思われるから書くのをやめようかな。

「ええ!なんすか!手抜きをするな!」
「わ、わかりました」

(ここまで書くのに3日かかっています。そうなんです。ペンが全く進みません。いつもそうですがゲームに入るまでの産みの苦しみを味わっています)

(戦記を書くために毎回、書籍を購入することを自分に課しています。日本軍に関する書籍は既に廃刊になっているものもあり、それを古本で手に入れたり、図書館で借りたりして、今回は5冊ほどになりました。
これはゲームを始める前に自分の気持ちがその戦場に深く入っていけるようにするものです。そうすると戦記を書くためのというより、僕を押し出すような何か向こう側から訴えるようなものが見えてくるんですが、これがまた結構つらいんですよ)

弁当食べたいなあ

Posted: 2007.Sep.22(Sat) 10:36
by domo
前置きが少し長くなっておりますがご了承ください。


アメリカが次第に反攻作戦を準備している最中、日本軍はどうであったか。

スタンリー作戦で陸路‐スタンレー山脈を越えてポートモレスビーを急襲するはずだった精鋭の南海支隊8000名は、ココダを通過し、ポートモレスビーの灯が見えるイオリバイワまで到着した。
しかしガダルカナル島の戦況が悪化し、航空機での補給が途絶えてしまう。
そして南海支隊が受信した命令が「待機せよ」−「後退せよ」−「撤収せよ」であった。
食料は全く底を尽いた。
後退しながらも追撃してくる敵と戦い、飢餓と戦ったが、後退路にも敵は潜んでおり、部隊は退路を絶たれた。
そのため大湿地帯を抜け、激急に流され、最後ブナの基地にたどりついたのはわずか300名であったという。
「南海支隊の悲劇」− ガダルカナルの悲劇がここでも起きたのだ。

ブナ地区は、ブナ‐ギルワ‐バサブア(ゴナ)という3拠点からなっていた。
当時ここに初めてやってきたのは、ガダルカナル島と同じく海軍の陸戦隊であった。
その陸戦隊900名を含め、工兵隊、船舶兵などおよそ3000名。
そのうち戦闘員は2000名ほどであった(非戦闘員の中に台湾の高砂族がおり、彼らは最後銃を手にし豪軍と壮絶に戦い全滅している)

マッカーサーが10倍の兵力を持って、着々と部隊を集結させているとき、彼らは・・
「今年中(42年)は大丈夫やねん、奴らは来年(43年)の下半期ごろ攻めてくるんちゃうか」

と、誰もがそう思っていたという。

そう、このとき誰もガダルカナル島の悲劇を知らされていなかったのである。
しかも彼らは自分たちから30キロしか離れていないところに敵が飛行場を作ったことさえも知らなかったのだ。


アメリカとしては制空権と圧倒的物量でもって、一気に日本軍を負かすことができると考えていた。

だが。
10分の1の戦力差、限られた砲弾・弾薬、食料という環境下で日本軍は予想以上に頑強であった。

特にブナ地区の戦いは米軍の公刊戦史にToughest Fighting in the World」(世界一の猛闘として書かれており、事実上米軍を驚愕させたのであった。

(固い文章になりました。読み飛ばして下ってもかまいません。次回からゲームに入ります、多分ね)

十五夜の夜はもちろんspwaw

Posted: 2007.Sep.25(Tue) 07:05
by domo
「Battering at Buna」 H2H fr
US Assault VS JAPAN Defend
ニューギニア ブナ
1942.11. 24
15ターン
Designer : Redleg

(同シナリオは8.403vにもあります。ただしエンハンスドでプレイするとOOBがあわず、ユニットがおかしくなるため、プレイするときは8.403でプレイしてください)
(なお今回のシナリオをより正確に再現した「Giropa Point」(wert作)という57ターンにも及ぶ大作がありますが、時間の都合上(汗)縮小版でご勘弁を)




南海の楽園とは誰が言ったのだろう。
美しい海や砂浜も一歩密林に足を踏み入れるとそこはまるで人間が入ることを拒否しているようにも思えるところであった。

俺たちアメリカ第32師団の128連隊は本国からポートモレスビーに到着し、約1ヶ月の訓練をしたあと、戦線に送り込まれることになった。

当初、それまで誰も日本兵など見たこともなかったため、自分たちが戦う敵がどれくらい強いのか、また日本人とはどういう奴らなのかさえまともに想像できたやつは何処にもいなかった。

だが初めはそれが幸いした。

ほとんど抵抗という抵抗はなきに等しく、たとえジャングルの中で日本兵に出くわしても俺たちを見て逃げ出すものさえもいた

「ジャップは大したことないな」

いつしか俺たちの間でもそうささやかれるまでになっていた。

そのため先日、豪軍がブナ地区にある日本軍の拠点であるバサブア(ゴナ)を攻撃したが、日本軍の激しい抵抗に遭い多数の死傷者を出したと聞いても、まだあまりピンとこなかった。

それよりもこの鬱陶しいほど不快なジャングルでの生活の方が、日本兵よりも手ごわいのではないかと思った。

だが、まさか・・・
不慣れなジャングルでの戦闘、そして防御陣地に立て篭もる日本兵との戦い。

ここから俺たちの苦闘が始まるのであった。

多摩川名物といえば多摩梨でしょ

Posted: 2007.Sep.26(Wed) 06:08
by domo
ブナ地区にある3つの拠点[ブナ−ギルワ−バサブア(ゴナ)]がどれほど重要であるかは、日本軍よりもむしろ米軍の方が戦略上、重要性を置いていたことは目に見えている。

それはマッカーサー自らの言葉からうかがえる。
オーストラリア軍がこのブナ地区のバサブアに攻撃を開始したのが10月半ば、やがて米軍も進撃し、この3つの拠点はそれぞれで完全に包囲状態になってしまう。
だが日本軍はこの完全に孤立無援の状態の中で信じられないほど激しい抵抗を続けていた。

その戦況を見て、マッカーサーはブナ戦線の指揮官、アイケルバーガー中将(マッカーサーの愛弟子であり、マクドナルドの新メニューではない)に対して、

Take Buna, or don’t comeback alive
(ブナを取れ、取れなければ生きて帰ってくるな)

と命令したそうである。



さあ、戦場に目を向けよう。
ブナは海岸に面しており、我々はジャングルから海岸に向かって進撃する。
我々の目標は日本軍がブナに建設した2つの飛行場(Old Strip、New Strip)を奪取することだ。

右にNew Strip、左にOld Stripとなっているため、部隊は2つに分かれる。
VHは全部で16個。
右側のVHが7個で合計850ポイント
左側のVHが9個で合計1350ポイント


そして右の飛行場を3個小隊で、左の飛行場を4個小隊で攻撃する。
増援として後から3小隊とバズーカ隊が到着することになっている。
それと制空権は連合軍のものであったので、P-39エアラコブラとP-40ウォーホークが各6機、既に爆弾を搭載し待機していた。

「OK ! READY GO !!」

俺は再び戦場に舞い戻った。
(皆さん、今回は約2週間と短いですが、最後までお付き合いくださいませ)

shit spwaw

Posted: 2007.Sep.27(Thu) 09:28
by domo
【1ターン】
数時間前から始まった爆撃と砲撃で豪雨のごとく敵陣地に砲弾が降り注がれた。
弾幕で辺り一面が霧のようになり何も見えない。
数千、数万発の砲弾を浴びた大地は地形すら変えていた。

「まともに戦えるやつはもういないんじゃないか」
砲撃や爆撃がどれだけ敵にダメージを与えたか分からなかったが、戦う前に敵の戦意を失わせるという役割は十分だろうと思えた。

(実際、自分の陣地に降り注ぐ砲弾の数を数えていたある日本兵はその数に口惜しさを感じたという。それが砲一門が一時間に500発も撃っていたこともそうだが、それ以上にその砲弾のほとんどが当たらないものだったからで、こんな無駄はないと思ったそうだ。当たっていたら数える余裕もなかったに違いないが)

J0の指揮官名をHarper→domoに変更
今回は階級も上がり大尉だ。
当然だ。
誰も文句を言うまい。
俺の昇級に文句を言うやつがいるとすれば、今この戦記を読んでいるそこのあなたぐらいだろう。


右の飛行場から前進が始まった。
各隊、RECONユニットを先頭に前進する。
3へクスほど前進したが、やはり敵影はない。
たぶん砲煙で視界を遮られているのだろう。
だが油断はできない。
視界が利かない分、至近距離から攻撃されやすくなるわけだから。

P1、P2の重機関銃部隊が視界の開けたいいところに銃座をそえた。
視界の通らないジャングルや密林では機関銃の利点を生かすことでいつも苦労が耐えないため、このような場所に機関銃を設置できることがうれしくなるのは致し方なかろう。


一方、左の飛行場を目指す俺たちの方はと言えば、ニューギニア特有の湿地帯での前進である。
濁った悪臭を放つ水溜まりの中を前進しなければならない。

「SHIT !」
兵士が泥に足をすくわれ、泥の中に体を突っ込ませた。

「足元に気をつけろ」

配下のK小隊に気をつけて前進するよう指示を出す。

そのときだった。

SPWAWの秋です

Posted: 2007.Sep.28(Fri) 08:06
by domo
「TATATATA・・・」
静寂の空間に機関銃の音が鳴り響いた。

「伏せろ!!」
全ての兵士に緊張が走る。
皆、すばやく地面に伏せるか木の陰に身を隠した。

ジャングルの中ではあらゆるものが掩蔽物になるため、身を隠すことは容易である。
しかしその反面、隠れた敵を見つけることは困難であることは言うまでない。

「どこだ?分かるか?」
「あそこです」

指さした方を見ると、150m前方の湿地帯に視界の利く草むらがある。

いかにも敵が隠れていそうなところだ。
双眼鏡で覗き込む。
日本軍の92式重機関銃だ。

随伴のK小隊に援護射撃をしてくれるよう手で合図を送る。

「行くぞ!!」
「DADADADA・・・TATATATA」

ありったけの弾丸を喰らわし、機関銃は沈黙した。
我々の方もK0分隊に1名の死傷者が出た。

我々以外は敵の攻撃はなかった。

後は砲撃要請をしてターンを終えるのみである。
若干、どうしようか迷った。

今回は12機の爆撃機のほかに、105㎜番外砲とそして60mm迫撃砲の砲兵隊が7部隊(弾薬庫付)参加している。
全ての迫撃砲に弾薬庫が隣接しているので、多分どんだけ撃っても撃ち尽くすことはないだろう。
だがまだ正確な敵の位置を把握できていない。
というのも60㎜迫撃砲というのは、弾着誤差がほとんどない。
ほぼ全て同じへクスに弾着する。
別にそれでもいいじゃんかといえばそれまでだが、外れた砲撃を見てせせら笑う日本軍プレーヤーの顔が思い浮かぶのでいやだ。

砲撃における心理戦というものがある。(Fast Artilleryは常にON)
砲撃要請のスタイルにもいろいろあると思うし、あっていいと思う。
それだけに最も個人差の出やすいものでもあると同時に、指揮官の力量が確実に現れるものであるような気がしてならない。
砲撃要請の未熟な指揮官に勝利はない。
と言っても過言ではないだろう。

それはさておき戦闘序盤の砲撃、中盤の砲撃、終盤の砲撃とそれぞれに持つ意味合いがあると思う。
その中で序盤の砲撃というのは、まだ見えない相手に対して行う威嚇のための砲撃である。それは敵の戦力にダメージを与えるというよりは、むしろ相手に与える心理的ダメージが大きな要素である。
敵にダメージを与えたり、抑圧をあげる砲撃だけが砲撃ではないのだ。
所詮、人間対人間が行うもの。
いかに敵の裏を読むかと言った腹の探り合いのような砲撃が序盤の砲撃の面白いところだ。

なので砲撃の勉強をしたいと思われる方は是非対人戦をすることをお薦めする。


話が反れた。
だが意外にもまじめな話をしている自分に驚く。
(最近、戦記は夜明けに書いてます。多分そのためでしょう)

一応、砲撃は塹壕近辺と手前のVH付近に次の自ターン開始前に行われるように、遅延時間を0.3にしておいた。

Damn it spwaw

Posted: 2007.Sep.29(Sat) 08:48
by domo
【2ターン(その1)】
砲撃の効果がどうだったのかは知る由がない。
ただ105㎜番外砲と60mm迫撃砲6門がジャングルの中に相当数の砲弾の雨を降らせてくれたことは、これから敵の弾を受けに行く俺たちにとってわずかな励みにはなった。

とにかく前進だ。

右の飛行場から進める。
最右翼を索敵していたF1偵察隊が敵に見つかり攻撃を受ける。
しかも2ヶ所からの攻撃で死傷者を1名出し後退したため、敵の居所を突き止められない。

だがこれで敵は前方だけでなく、側面にもいることが判明した。
これは重大なことだ。

このことを最右翼を担当するD小隊小隊長のフランクリン少尉に告げる。
フランクリン少尉はすぐに地図を取り出し、状況を判断する。

「Damn it !!」
D小隊の150m(3へクス)前には滑走路の上にVHがある。
もう目と鼻の先だ。
しかも濃霧のような砲煙のためVHはすぐに確保できるだろう。
しかしだ。
敵が側面にいることが判明した今、易々とVHを取りにいけない。
フランクリンはもう一度偵察隊に確認を取った。
「敵が攻撃したときの銃器音は覚えているか?」
「ライフル銃と機関銃音でした」

どうやらライフル銃のあとに機関銃音が響いたらしい。
ということは、これは機関銃陣地ではない。
敵の歩兵部隊がいる。
歩兵部隊がいるとすれば、1小隊はいるであろう。
機関銃陣地だけならば無視できるが、歩兵部隊となると話は別だ。
もし気づかずに前進を続けていたら、D小隊は後方から回り込まれていただろう。

フランクリン少尉はB0のジョンソン大尉に報告する。
「了解した。D小隊は滑走路のVHを確保し、その場で側面警戒にあたれ」

若干の作戦変更になった。
D小隊はVH付近で敵の側面の敵を警戒することになった。
だがD小隊が抜けた分、C小隊に負担がかかることになったが、こんなことは戦場では常である。

D小隊、C小隊は滑走路に向けて前進。
滑走路上に点在する4つのVHのうち、2つを確保した。

嗚呼spwaw

Posted: 2007.Sep.29(Sat) 23:50
by domo
【1ターン(その2)】
次はE小隊
E小隊とI0工兵隊は滑走路の残り2つのVHを目指す。
I0工兵隊は火炎放射器を持つ貴重な戦力である。
なので序盤での損害はできるだけ控え、トーチカやブンカーに立て篭もる日本軍を丸焼きにするためとっておきたい。
だが誤ってI0工兵隊を動かしちまった。
どこからか榴弾砲を撃ち込まれた。
やばいやばい
そのあとE1分隊を前進させるが、また先ほどの榴弾砲を撃ち込まれた。
どこにあるのか全く見つけられない。


SPWAWをやっていると時々戦場でもこのようにするんだろうと思うことがよくある。
その一つに隠れるということがある。
これこそ守る側にとっての「テーマ」だが、いかに見つかりにくく戦い、また敵の照準から逃げることによって不利な戦況も有利にもちこむことができる。
具体的にいえば、地形をうまく利用することや、In Coverをとる、無理な臨機射撃はしない、射撃後は敵の照準にならないように移動する(これぐらいは基本だろう)といったことだろう。

そしてこのような見えない敵に立ち向かうとき、指揮官としてどのような指示をだしたらいいだろうか悩む。
この悩みがゲームをリアルにしていると思う。
(そんなことグチグチ考えてゲームやってねーよという方は、このゲームにあまり向いてないと思います)
(昔々20世紀に、ASLをやっていたときなんか、どうしようかと考えるとゲームが全然進まなかったんですが、それがまた楽しかった)


ゲームを中断し、窓を開け近くで行われている多摩川の花火大会をしばし鑑賞する。
対空砲火のようなドーンドーンという大きな音が響き渡る。
そして照明弾のように花火が夜空に炸裂する。
あれ?・・・あれれ・・・
何か本当に空襲を受けているような錯覚に陥ってきた。
これもSPWAWをやっているおかげか?

それにしてもリアルすぎるよ・・・

秋雨とSPWAWはどこも似てない

Posted: 2007.Oct.01(Mon) 01:08
by domo
【3ターン】
2ターンの日本軍の攻撃は全くなかった。
しかし不気味な感じだ。
ジャングルの中ではまた別の恐怖が押し寄せてくるのだ。

「既に敵に見つかっているんじゃないか?」
「俺たちは敵の術中にはまっているのではないか?」
「ふふふ、全て妄想さ」

そのような疑心暗鬼が暗黒面を増大していく。
人間とは弱いものだ。

SPWAWはやはり序盤の面白さにあると思う。
最近そう思えるようになった。
敵の居場所は?
戦力は?
作戦は?
蓋が開いてからのドンパチ消耗戦も楽しいんだが、蓋が開くまでのお互いの勘ぐり合いもいい。
(だけど部隊を購入するのが楽しいというのは、なぜかよくわからないんだなぁ)


このターン、各部隊は目標のVHに向かって前進した。
そして右の滑走路にある4つのVHを全て無償で確保した。
またF0偵察隊が塹壕の一つ手前まで進んだ。
ここら一帯はゲーム開始時の砲撃で砲煙がいまだ視界を遮っており、自分たちの部隊ですら確認しあわなくてはいけないほどであった。
だがそれにしても敵の反撃がない。
砲撃を喰らっていくら抑圧があがっていたとしても、もう回復しているはずだ。
やはり射程を短くしているのだろう。

増援部隊が次々と到着する。
だがこれらの増援部隊は全て左の飛行場に向かわせることになっていた。

へクス(31、52)のVHの手前までM小隊とN小隊がたどりついた。
道路上にVHがある。
移動力がどの部隊も残り5しかないので、VHを踏んでもそれ以上は進めない。
そのためここは無理をしてVHを取りにいかないほうが懸命と判断する。
VHを確保する場合は移動力に余裕を持たして進めたほうがいい。
もしものときにその場で釘付けにされてしまうためだ。
もちろん時間に余裕があればの話だが。

さあ最後は俺たちの番だ。
K2分隊が先ほど撃破した機関銃の陣地跡(17、52)に入る。
すると前方からまた機関銃の音。
後方にいた俺たちJ0分隊は援護射撃をして、K2分隊が機関銃を潰しやすいようにする。
だが別方向からも銃弾が飛んできた。
一人が銃弾でやられた。
「くそう」
しかも別方向の敵は発見できない。
一か八かだ、K2分隊が100mの距離で敵機関銃部隊と交戦。
やはり米軍の火力は強い。
なんなく機関銃陣地をやっつけた。

残りのK1、KO分隊が左の湿地帯の中にいる。
泥につかったまま敵の攻撃を受けるのはやばい。
ここは湿地帯を通って前進するのは避けた方がよさそうだ。
部隊を湿地帯から移動させてこのターンを終える。

風邪には気をつけてください

Posted: 2007.Oct.02(Tue) 02:09
by domo
3ターンの日本軍ターンに左の飛行場で日本軍が反撃にでた。
全てトーチカやブンカーからの射撃だ。
そのためこちらの臨機射撃は簡単に跳ね返される。
ヘッドホンに重低音の機関銃の連続射撃の音が鳴り響く。
こんな弾に当たったら命はないだろう。
IGブンカーだろうか、2つの砲から榴弾がガンガン降ってくる。

左翼の最前線にいるK2分隊で3名がやられる。
アンドリュー軍曹が衛生兵を呼んでいる。
榴弾を喰らったL小隊は抑圧があがっただけですんだ。
これならよしとしなければいけない。

敵の射程距離圏に入ったことが明白になった。
戦闘が激しくなることが予想される。
今までとは違った緊張感が込み上げてくるのがわかる。
これからは戦術うんぬんより、経験と勘を頼ることになるだろう。

「やるかな」

と、思ったが、偶然NHKで0:20から「証言記録 兵士たちの戦争」という番組が始まる。
今回は西部ニューギニアでの生き残り兵の証言だった。
(domo戦記は東部ニューギニア)
見ていて涙がこぼれる。
どこも同じなのだ。
ジャングルの中の撤退行軍。
敵の弾に当たり死んでいくのではなく、骨と皮だけになり死んでいく兵士。
ニューギニア戦線というのは完全に見捨てられた戦場だった。

これを見たらゲームをやる気なくしてしまった。

また明日がんばりやす!!

無題

Posted: 2007.Oct.03(Wed) 23:44
by domo
本日は晴天なり

無題

Posted: 2007.Oct.03(Wed) 23:52
by domo
【4ターン(その1)】
昨日、中日ドラゴンズの優勝が消え、ジャイアンツが優勝しちまったためか、ああ今シーズンも終わったなあという虚脱感から全然進められない。
モチベーションが下がっているためか、(51、50)にいる偵察部隊を(50、49)か(51、49)かどちらに前進させようかで悩み行き詰る。

なら「やめちまえ」と暗黒面の心がささやく。
「うぐぐぐ」

そんなこんなでふらふらしていたら、あの日本を代表する酔っ払い指揮官S氏が、久々に司令部に復帰したではないか!

だがそんなことではモチベーションはあがらない。

しかし今回はそんなことも言っていられない事情がある。
締め切り日があるのだ。
入院するまでになんとしても終えなければならないのである。
締め切りと聞いてガゼンやる気が出る体質は、仕事上一生治らないものかもしれない。
追い込まれなければやれない、いや追い込まれなければやらない体質になってしまっているこの脳みそ。

「ええい、やるか!!」

やけくそとどっちでもいいやという気持ちで、(50、49)に移動させた。
だが視界が悪いせいか、敵はいない。

「なんでい!なんでい!余計な心配しちまったぜ」

続いてC1分隊を(50、50)に移動させる。
「DADADADA・・」
見る見る間に兵士がバタバタと倒れる。
ブンカーから強力な火気で攻撃されたのだ。
その上、C1分隊が退却した場所が後方でなく、真横に退却してしまい、敵の視界の真正面に行ってしまった。
C小隊の小隊長、オーエンス少尉は血相を変えてC1分隊に無線をつなげる。
C1分隊は12名中、6名がやられてしまった。
しかも抑圧があがってしまい煙幕も張れない。
「なんとかせなあかんな」
だが、C3工兵隊を隣接させるには移動力が足りない。
このまま放置したら、C1分隊は全滅させられるだろう。
「これしかないな」
オーエンス少尉のC0分隊は、(50、49)に移動し、そこからブンカー目がけて猛射撃を浴びせた。
そしてバズーカ隊を呼びつけ、(49、49)まで接近させ、そこから「T」ボタンでまず目標を設定、そのあと「C」ボタン、「1」を押してバズーカを選択し、ブンカーを攻撃した。

「DOGAAAAN !!」

見事ブンカーを吹き飛ばした。

「うわはははは!」
「よっしゃぁぁぁ!」



(こんな調子で書いてたら、とてもおわんねー)
(でもそんなの関係ねー)