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【漫画】『完全版 水木しげる伝』

Posted: 2009.Dec.13(Sun) 01:20
by Nor
完全版 水木しげる伝〈上〉戦前編 2004 講談社コミッククリエイト
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完全版 水木しげる伝〈中〉戦中編 2004 講談社コミッククリエイト
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完全版 水木しげる伝〈下〉戦後編 2005 講談社コミッククリエイト
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<時代背景完備の戦記マンガとして>

水木しげるはこれまでに数々の自伝・戦争モノ・歴史モノを描いていますが、本書は「完全版」という謳い文句の通りそれらの集大成というべき位置づけ。「コミック昭和史」をベースに著者の生い立ちから現在までの生涯を描いています。全三巻のうち水木ファンじゃなくても面白いのは、上・中巻で描かれる戦前~戦争直後の生活でしょう。

不景気、キナ臭くなっていく世相、他人事のように開戦を喜ぶ父親、それでもボーっと過ごす著者(笑)、ついに息子を兵隊に取られてうろたえる母など昭和初中期の世相をあくまで個人的な経験を中心に描きながら、狂言回しとして登場するネズミ男が大きな事件やトピックまで解説してくれる親切さです。開戦後も戦況の推移を説明しつつ、著者本人の戦争体験記が描かれます。マンガとしてここまできっちり描かれた個人戦記はかなり貴重な存在でしょう。

ニューブリテン島ラバウルの前哨陣地ズンゲンでの戦闘で著者は九死に一生を得たものの隻腕となったエピソードは有名です。その経緯は「水木しげるのラバウル戦記」「総員玉砕せよ!」でも描かれていますが、物語として面白くするために脚色が加えられ著者の感情が色濃く出ていたのが戦記としてはやや難点でした。ところが本書ではあくまで自分史の一幕として、おそらく執筆時の年齢もあるのでしょうが、事実のみを中心に淡々と描かれている印象です。

ちなみに著者の配属されたズンゲン支隊は数奇な運命を辿った「悲劇の部隊」として有名で、ラバウル方面での戦闘を扱った書物にはかなりの確率で紹介されています。簡単にいうと、士官学校出の青年支隊長(少佐)は「ラバウル十万の亀鑑となるべく」あっさりと玉砕を道を選ぼうとするのに対し、古参中隊長(中尉)はあくまで粘り強い遊撃戦を主張し・・・という意見の対立だけなら珍しくもない話のようですが、不思議なことに両者は実際に別々の行動を取ってしまうのです。

そしてラバウルの司令部は支隊長の決別電を鵜呑みにして全員玉砕と判断し、大本営にも連絡。ところが数日たって中隊長が連れ帰った(負傷した中隊長自身は途中で自決)生き残りが戻ってきたもんだから大騒ぎになります。大本営の手前も、ラバウル十万の将兵の士気高揚のためにも、玉砕命令は守られなければならないというわけで、ズンゲン支隊の生き残りは傷病者を含めて全員再突入を命じられます。ところが敵はいなくなっていた。仕方なく後始末のためにラバウルから参謀が派遣され、生き残り士官は不始末の責任をとって強制的に自決(「体のいい銃殺」)させられました。

すぐ後方に十万の兵隊がのうのうと生きているのに、なぜ自分たちだけが死ななければ・・というのが著者を含めた生き残り兵士の叫びでした。この顛末は「歴史から消された兵士の記録」という本の中で三章分取り上げられているので興味があれば是非。

それにしても著者の波乱万丈な従軍体験は何度読んでもあきれ返るばかりです。内地の兵営でラッパ吹きが下手だから辞めさせてくれと頼んだら最前線に送られ、前線でもマイペースを貫き通してビンタの毎日、あげくは歩哨に立っている間に分隊全滅、原住民の追手を振り切って一人っきりのジャングル逃避行、やっと生還したら敗残兵扱いで責められ、今度は水汲みに行っている間に分隊全滅、再び生還したら上述の再玉砕命令、これも運よく生き延びたと思ったらマラリアで倒れている間に爆撃で片腕を失い、生死の境をさまよいつつも奇跡的に回復して・・とまあ、運がいいんだか悪いんだか全く判断できません(笑)。

水木しげるの画風や主張には好き嫌いがあるでしょうし、その生き様もあまりに普通じゃなさすぎて参考にはなりそうにありませんが、こんな人間が実際にいてあの時代を生き延びたという記録としてだけでも充分に読む価値はあると思います。いろんな意味で確かにスゴイです。