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【書籍】『初めて人を殺す』

Posted: 2009.Oct.25(Sun) 01:02
by Nor
初めて人を殺す - 老日本兵の戦争論 2005 井上俊夫 岩波現代文庫
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『今まで私はあちこちの市民団体や大学から招かれるままに、おのが従軍体験を語ってきた。が、その時の聴衆の視線、わけても若い人のそれが、「お前は戦争の悲惨さ、厳しい軍隊生活の内幕などをあげつらって、二度と再び戦争をしてはならないというふうに話を結んでいるけれど、戦争にはぼくたちの知らない面白いこと、楽しいことがいっぱいあったのじゃないか」と私に問いかけているような気がしてならなかった。
 たしかに軍隊や戦争は、辛いこと苦しいことばかりではなかった。楽しいこと、面白いこともあった。だからこそ何年間も戦場生活に耐えることができたのだ。つまり戦争には「悲惨と愉楽」の二面性があったのだ。私たちはこの戦争の魅惑的な面も、若者たちにぶつけなければならないのだ。』

<直球にみえる変化球>

タイトルと出版元をみれば、だいたいの内容は予想できたのですが・・。著者は詩人。日中戦争で4年ほど従軍し、いろんな媒体に書いた戦争関連の8編の詩やエッセイを一冊にまとめたのが本書。大阪弁を生かした軽妙な語り口なので軽く読めます。だいたいの感じは著者のサイトにある文章を読めばわかるでしょう。

本書の中核になるのはタイトルにもなっている「初めて人を殺す」という文章で、徴兵されたのち送られた中国の兵営での軍隊生活を細かく描いています。大筋としてはよくある(といっては失礼ですが)初年兵のきっつい日常生活の記述なのですが、新兵教育の締め括りとして行なわれた中国軍捕虜を使った銃剣での刺突訓練の体験があからさまに書かれているという点で、よくある「内務班もの」とは一線を画していると言えるでしょう。

もちろん著者もこの刺突訓練に参加したわけで、いざ自分がやるとなった時の状況を次のように記述しています。
『<えらいことになったぞ。誰もこの場から逃げることは出来ないんだ。俺も人殺しをやらねばならないのだ。しかし、これも俺が男らしい男になるための、試練に違いない。こんな経験を積む機会はめったにあるもんじゃない>
 私はこのように自分に言い聞かして、順番が回ってきた時、銃剣をもって型どおりの突進をした。しかし、五体を蜂の巣のように突かれて朱に染まった軍服から内臓をはみ出していたリュウは、既に死んでしまっているのか、それともまだ息があったのか。無我夢中で銃剣を突き立てた私には、なにか豆腐のようなやわらかい物を突いたという感触しか残らなかった。』
正直言って、前段の独白部分がちょっとあっさりしすぎていると私は感じました。詩人としてこの部分はもうちょっと書き込んで欲しかったというのが率直な感想です。しかし、こういったあっさりとした、どこかぼんやりとした口調は全編にわたって共通しており、この独特の文体が反戦を謳う作家にありがちな「妙な重さ」を感じさせずに読めるという良さにも繋がっています。

基本的に反戦・反軍・反天皇という著者の思想信条が前面に出ているので、そういう部分にひっかかる人には読み進めにくいでしょうが、あとがきまで読むと著者はなかなかの変化球投手であることがわかります。冒頭の引用文はまさにそうした著者の一面を表しているといえるでしょう。軍隊や戦争のイヤな部分も良かった部分も、なるべく後付けの感情ではなく、当時の感情を思い出して正直に書こうとしていることがわかります。

著者の思想信条へ共感するかどうかはともかく、こういう風に感じ考える戦争体験者がいるという事実は受け止めるべきでしょう。著者も80を超えるご高齢で従軍体験者は年々減少する一方ですが、あの戦争に行った方々にはぜひともご存命の間に各自の戦争体験を語って欲しいものです。