<おしらせ1>
またまた、いつの間にか掲示板がダウンしていたようですね。ログを見ると、およそ2年半ぶりの改修です。
この間、何度かメールでご要望があったようですが、この度ようやく重い腰を上げて掲示板を修復いたしました。
管理不行き届きで申し訳ありません。

<おしらせ2>
サイト管理を楽にするために体裁を変更しています。
本サイトのメインコンテンツであったSPWAWの解説記事は以下からアクセス可能です。
SPWAW解説記事一覧


<5分で調べたSPWAW界の近況>

びっくりしたことーその1「Depot リニューアル」
SPWAW界を長年牽引してきた世界最大のファンサイトSPWAW DEPOTが、昨年の4月に閉鎖、13年の歴史に幕を下ろしたようです。
と同時にDepotメンバーの一人 Falconさんが新たなサイトSPWAW DEPOTを立ち上げたようですね(笑)。
まあ、中心メンバーが入れ替わって、こじんまりした感はありますが、実質的にはリニューアルって感じですかね。
旧DEPOTの遺産は相続されているようで、今後ともがんばって欲しいところです。
https://www.tapatalk.com/groups/spwawdepot/

びっくりしたことーその2「砲撃要請画面ラグ解消」
マルチコアCPUが普及した頃でしょうか、ある程度以上のスペックのPCでは、砲撃要請画面で挙動がおかしくなる不具合がありましたね。
それが原因でSPWAWを離れた・・という方もおられたような記憶がありますが、どうやらこの不具合、ついに修正されたようです。
これもDEPOTメンバーのおかげみたいですね。Matrix Games 公認(というか黙認ですね)のもと 、本体ファイル MECH.EXE をいじることに成功したようです。
https://www.tapatalk.com/groups/spwawde ... -t277.html


というわけで、この機会にもう一度SPWAWをやってみようかな、と思われた方は次のリンクからダウンロードをどうぞ。
DEPOTで全てのファイルのホスティングも始めたようです。
https://www.tapatalk.com/groups/spwawde ... es-t6.html

【書籍】『ベルリン終戦日記』

参考になる書籍・映画・ウェブサイトなどの紹介
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【書籍】『ベルリン終戦日記』

Post by Nor » 2009.Oct.02(Fri) 23:54

ベルリン終戦日記 - ある女性の記録 2008 アントニー・ビーヴァー(序文) 山本 浩司(訳) 白水社
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『ここ数日繰り返し気づかされたことだが、男たちに対する私の気持ち、女たちみんなの気持ちが変わった。男たちは痛ましい存在で、私たちには惨めで無力にしか見えない。弱き性だ。女たちのあいだには、表向きの見せかけのうらに、一種の集団的な失意が広がっている。男たちが支配し、強い男を賛美したナチ世界が揺らいでいる-それとともに「男」という神話も。かつての戦争であれば、男たちは祖国のために殺し殺されるという特権は自分たちのものだと誇れた。しかし今日では女たちもそれに関与している。このため私たちは改造され、厚かましくなった。この戦争の最後の局面では、たくさんの他の敗北とともに、性としての男性の敗北も確かにあげられる。』
<概要>

戦記ファンにとってはどうしてもアントニー・ビーヴァーの名前が先行しますが、ビーヴァーが書いたのは序文だけで、本文は34歳のドイツ人女性によって1945年4月20日からおよそ2ヶ月にわたって書かれた日記です。著者は匿名を希望し、戦時下のベルリンに暮らした女性ジャーナリストであることしか公表されていません。ドイツ本国での初出は1953年でしたが、激しい拒否反応を示す敵意とそれを裏返した沈黙で迎えられました。この反応に著者は存命中の再販を拒否し長らく絶版が続きましたが、2001年の著者逝去とともに各国で再販されました。ちなみに本邦でも1956年に英語版の抄訳として「ベルリンの女」のタイトルで出版されたようです。

さて、ベルリン戦記とくればやっぱりビーヴァーの「ベルリン陥落 1945」ですが、同書でもかなり詳しく扱われたベルリン女性への暴行の顛末が、本書ではさらに生々しい体験談として描かれています。といっても決して感情的なお涙頂戴ものではなく、リアルタイムでレイプ被害にあっているとは思えない恐ろしいほど冷徹な視点で、時には苦いユーモアさえ交えて日々の出来事が綴られていきます。一読してまず驚くのは文章の巧さと随所に見られる考察の非凡さです。著者は海外赴任経験も豊富なジャーナリストと聞けばある程度は納得できますが、それにしても当事者が惨禍の中でこれだけの文章を書いたとは・・・。

もちろんベルリン陥落に至る過程も市民の視点から詳細に描かれ、ただただ事実の迫力に息を呑み圧倒されるばかりです。以下、下手な感想は極力省いて引用を主体にご紹介することにします。


<末期のベルリン>

終わりの始まり。後退する兵士の一団。
『この人たちの姿ときたら、あまりに惨めで、もう少しも男らしくない。ただ同情の対象でしかない。彼らからはもう何も期待などできない。早くも叩きのめされ捕虜になったように見える。ぼんやりとして光を失った目をした彼らは、歩道の縁石に立っている私たちとは目を合わさないようにしている。私たち、一般国民、ベルリン市民、名称は何であれ、私たちはどうやら彼らにとってはどうでもいいもの、それどころか煩わしいものであるらしい。彼らが自分たちの外見の落ちぶれぐあいを恥じているとは思えない。恥を覚えるにしては意識が朦朧としすぎており、疲れ果てているのだ。戦争に倦みきっている。これ以上は見ていられない。』
降伏する者は処刑するという張り紙。
『手書きのポスターとはいかにもみすぼらしくて冗談としか思えない。まるでこそこそ小声で囁いているかのようなのだ。』
一方で脱走兵は増え続ける。
『誰もそんなこと問題にもしないし、わざわざ彼に注意を向けもしない。厚顔無恥であっても、まだかなり力が残っているように見える前線兵士はここでは大歓迎だ。』
国民突撃隊に駆り出された少年兵。
『なぜこうした子供殺しにはこんなに抵抗感を覚えるのだろう?この子たちがもう三歳か四歳年かさだったら、射殺されたり八つ裂きにされたりしても特段の痛みは覚えないだろうに。どこに境目があるのだろう?例えば、声変わりに?記憶のなかで私を一番苦しめるのは、実際に、あの子たちの高いきんきんした声なのだ。兵士と男とはこれまで同一のものだった。そして男とは子供を作る力のある者のことだ。この子たちは成熟した大人になるまえにもう無駄死にさせられている。これはきっと自然法則に反しているにちがいない。本能に反しており、いっさいの種の保存本能に反しているのだ。これでは自分の子供たちを食べ尽くしてしまうある種の魚や昆虫と何も変わらない。人間がそんなことをしてはならないはずだ。それにもかかわらずそうなっている。これは狂気の症候に他ならない。』
ソ連軍は着実に迫る。米英軍の空襲とソ連軍の砲撃によって電気・ガス・水道・電話のライフラインは停止し、配給もほとんどがなくなり、破壊された商店の略奪が始まる。二百万以上といわれたベルリン市民は独ソ両軍の砲撃で半ば崩れ落ちた建物の地下室にこもって息を潜める生活。
『そもそももう命令もなければ、情報もない、何もない。誰も私たちのことなど気にかけていない。私たちは急に個人になり、民族共同体の一員ではなくなった。友人や仕事仲間のあいだの古いつながりにしても、二人のあいだに三軒以上の距離があると、すべて死に絶えてしまった。洞穴の人々、これこそが家族である。太古の時代とまったく同じだ。この世界の地平線の長さは三百歩もあれば足りてしまう。』

<恐怖の初日>

ベルリンの男は殺される危険を、女はさらに暴行の危険を覚悟しないわけにはいかなかった。
『W夫人が叫ぶ。「頭上のアメ公より、腹の上の露助の方がまだましだわ」。彼女の喪服にはあまり似合わないジョークだ。ベーンさんが地下室中に聞こえる声でわめく。「正直になりましょうよ。処女なんかこの中にはひとりもいないんですからね」。誰も答えるものはいない。』
一方でわずかな希望的観測。
『結局、と何人かが言うのだった、プロパガンダに騙されていたのではないか?結局、「あの連中は」決してそんなに・・・。しかしそのとき東プロイセンから逃れてきた難民の少女が、普段は何もしゃべらないのに口を開き、きつい方言で途切れ途切れに喚きはじめる。結局ふさわしい言葉が見つからず、両腕を振り回して金切り声をあげる。「あんたたちにもいずれ分かることだわ」。そしてまた黙りこくった。それに対しては地下室もまた黙り込むほかなかった。』
著者の暮らす街区にソ連兵が現れたのは4月27日。街路に姿を現したイワンたちは予想と違って自転車やバイクを乗り回して無邪気に遊んでいる。ロシア語が少しできる著者は言葉も交わした。
『自分から不安が少し消えていくのが感じられる。なぜなら結局のところロシア兵にしても「ただの男」に過ぎず、それならば何とか女らしい手練手管をつかって、対処することができるだろう。うまいこと言って、食い止めたり、注意を逸らしたり、追っ払ったりもできるだろう。』
しかし日中は陽気だったイワンも、夜になってアルコールが入ると雰囲気が一変する。最初に狙われたのはふくよかな女。同じアパートに住む著者自らも同じ危険に晒されているにも関わらず同情心がみられないのが興味深い。
『すでに一般に聞き知るところだが、彼らは太った女を捜していた。おデブちゃん、すなわち美人、その方が女らしいのだ。男の体と全然違っているから。原始的な民族にあっては、太った女たちが実際に豊穣と多産の象徴として敬われている。けれど今、この国ではそうした女を捜し出すのにはひどく時間がかかる。かつてはあんなにふくよかだった年増の女たちでさえ、今では恐ろしいほどやせ細ってしまった。もっとも、酒造会社社長夫人は何の苦労もしていなかった。戦争の間じゅう物々交換できるものがあったから。今や彼女は不当に溜め込んだ脂肪の支払いをしなくてはならないのだ。』
著者はなまじロシア語ができるために、次々とおこる住民とロシア兵のトラブルの仲裁を任されてしまう。ここでも著者の関心は、突然の力関係の逆転にあることに驚きます。
『廊下をパン屋の親方が私の方によろめき近づいてくる、商売道具の小麦粉のように顔面を蒼白にして、両手を私に差し出し、どもりながら言う。「奴らが妻のところに・・・」。それ以上言葉がつづかない。一瞬私は自分がお芝居を一緒に演じているような気分になる。有産階級であるパン屋の親方がこんな振る舞いを見せるなんて、こんなにも心からの調子を声に込めるなんて、こんなにも丸裸で、こんなにも動揺した様子を見せるなんてありえない。今までならただ大俳優の演技でしか体験できなかったことだ。』
著者はソ連軍将校をつれてきて事態の収拾を頼む。
『将校が言い争いに割って入る。命令口調ではなく、仲間同士の言葉で。何度か同じ表現がつかわれるのが分かった。「ウカーズ・スターリナ」-スターリンの布告である。この布告は、「このようなこと」が起こってはならないと厳に定めているらしい。それでも、将校が肩をすくめながら私に理解させようとしているように、このようなことはもちろん起こらずにはすまない。警告を受けた二人のうちひとりが口答えをする。彼の顔は怒りのあまり歪んでいる。「何だって?ドイツ兵どもがロシアの女たちに対してどうふるまったっていうんだ?」彼は喚きはじめる。「おれの妹を奴らは・・・」などなど、一から十までは理解できなかったが、それでも言いたいことはわかった。』
こうして住民二人を何とか救い出すことに成功したものの、その直後に著者が標的にされてしまう。そしてまさかの裏切り。
『パン屋の女将がかすれた声で尋ねる。「もう戻ってこないかしら?」私はうなずいたが、念のためもう一度暗い廊下に足を踏み入れてみた。とたんに彼らに捕まった。二人はここで待ち構えていたのだ。私は叫びに叫んだ・・・。私の背後で鈍い音を立てながら地下室のドアが閉まった。』
『やっと二つの鉄の把手が開く。なかから地下の連中がじっと私を見る。今やっと自分がどんな様子なのかに気づく。ストッキングは靴の上に垂れ下がっているし、髪はぐしゃぐしゃ、ストッキング留めの切れ端はまだ手のなかにある。私は大声で喚きだす。「あんたたちは豚だわ。二度も辱められた、なのにあんたたちときたらドアを閉めて、私をゴミくずのように見捨てたんだから!」身を翻して私は行ってしまおうとする。私の背後で最初は沈黙、それから急に大騒ぎ。みんながみなしゃべり、好き放題に喚き、言い争い、手を振り回し合う。』
まさに「事実は小説より奇なり」を地でいく劇的な展開。しかし事実そのものよりも、それを冷静に回想できる著者の姿勢の方が恐ろしくもあり、本書にフィクション疑惑がつきまとったことも充分に頷けます。


<女性たちの生き残り戦略>

こうして著者はアパート初のレイプ被害者になったのですが、間もなくほとんどの女性が同様の体験をすることになります。恵まれた環境(家族があり食に不自由せず安全な隠れ場所がある)にあった女性の中には被害を逃れた例もあったのですが、それはあくまで例外でした。やがて『最初の数日の盲滅法の強姦』がすぎると、多くの女性にとってレイプ被害は遅いか早いか何回かという程度の問題になり、避けられない被害ならばいかにダメージを減らし得られるものを増やすかという点に関心が向けられるようになります。
『それから、くそったれ!と大声で叫んで、覚悟を決めた。はっきりしていることだが、強い狼を連れて来て、他の狼どもが私に近づけないようにするしかない。将校、階級は高ければ高いほどいい、司令官、将軍、手の届くものであれば何でもいい。何のために私は知恵と多少とも適性言語の知識を身につけているんだ?(略)将校に話しかけるときの言葉を頭のなかで検討し、気に入られるには青ざめ惨めに見えすぎやしないかと、と考えた。体の調子はまた上向いてきたような気がする。なぜって、私は何かをやり、企画し、実現させようとしていて、もう単なる口もきけない戦利品じゃなくなったのだから。』
『朝八時には、鍵のかからない裏口のドアから人の出入りがいつも通りに始まる。見知らぬ男たちがいくらでもやって来る。とつぜん二人組か三人組で現れて、私と未亡人につきまとい、体に触ろうとする。目を狐のように欲望にぎらつかせて。しかしたいていはすでに知り合いになっている誰かがいい時にやって来て、知らない男たちを追っ払う助太刀をしてくれる。グリーシャが相手の耳に聖域、つまりアナトールの名前を囁くのがこちらの耳にも届いた。自分が狼の一匹を手なづけることに本当に成功したのだと思うと鼻が高い。おそらくは群れのなかで最強の狼で、おかげで他の狼を近づけないでおいてくれるのだ。』
『他方で私は少佐のことが好きだ。彼が男として私の体を求めなければ求めないほど、人間としての彼が好きになる。それに彼はそんなに盛んに求めるタイプじゃないようだ。顔は青白い。膝の故障が彼を悩ませている。恐らく単なる性的なものではなく、人間らしい女性の話し相手を求めているのだろう。それなら私は進んでなってあげられる、いや喜んでなってあげられる。ここ数日の野獣たちのなかでは、少佐はやはり一番まともな男だし人間なのだ。そのうえ彼ならこちらの思い通りに操れる。(略)もっとも、こうやって今の自分を娼婦と呼ぶべきかどうか、という問いに答えるのを回避しているにすぎない。だって実質的に私は自分の肉体を糧にして生きているのだし、肉体を他人に委ねることで食事にありつけているのだから。』
『私は好き勝手に彼の妄想を膨らまさせておくことにする。はっきりしていることは、私の「教養」-もっとも、それを彼はロシアの控えめな基準にしたがって測定したのだが-それが彼に尊敬の念を注ぎ込み、彼の目に私を欲望するに値するものにしているということだ。(略)ドイツの男というのはつねに女より賢くありたいと思っており、かわいい女の子たちを教育したいと思っている。ソビエトの男たちには、気の置けない家庭を築くのにかわいい女の子など眼中にはないのだ。教養はあそこでは高値で取引されていて、とても希少で、需要の多い、緊急に必要とされる品物なのである。かくして国家の定めるところとして、教養には聖者のような後光さえ差すまでになっている。そのうえ、あそこでは知識は金にもなる。』
『ロシア人は私たちよりも遅れた発達段階にあって、民族としても若く、もっと起源に近い存在だ。ローマを陥落した蛮族チュートン人も、指を入念に手入れし、化粧で魅力的に見せ、いい匂いのする敗戦国ローマの女たちに襲いかかったときには、きっと同様の振る舞いを見せたことだろう。その場合、負けた国の女だという事実は、無条件に女の肉の味をよくする香辛料になるのだ。』
『あらかじめ分かっていて、多くの場合あらかじめ恐れられていた-右や左、隣の女性たちにも起きたこと、ある意味では当然起こるべくして起きたことなのだ。この集団で体験した大量の強姦は、また集団で克服されなくてはならない。自分の体験を物語り鬱積した気持ちをぶちまけることで、また相手にも鬱憤をはらし苦しみをぶちまける機会を与えることで、誰でも女であれば助け合えるのだ。もちろん、だからといって、ベルリンの生意気な娘たちよりも繊細な作りの人々がそのせいで気がおかしくなったり、一生ずっと障害を抱えたりすることがなくなるわけではないけれども。』
『「イルゼ、あなた何回やられた?」「四回よ、あなたは?」「わかんないわ。輜重隊の兵隊に始まって少佐まで出世しなきゃいけなかったの」』
当時のベルリン女性たちの挨拶が「何回(やられた)?」という会話から始まったというのは凄まじい話ですが、一方で男性は何をしていたのか?一般に男の数はまだ少なかったものの、兵役を逃れた男たちも少なからず存在しました。そして同棲している男がいるかどうかは、貞操の安全を手に入れる上で意外に大きな役割を果たしていたようなのです。
『奇妙なのは、ロシア人たちがそろいもそろって「夫はいるのか?」とまず尋ねることだ。どう答えれば一番得策なのだろう?いいえ、と答えれば、すぐに彼らはちょっかいを出してくる。はい、と答え、それによって煩わされずにすむかと思うと、次の問いかけがつづくのだ。「どこにいるんだ?スターリングラードから帰れないのじゃないのか?」。もしも彼らに見せつけることのできる生きた夫がいれば(未亡人が、実際にはただの下宿人でそれ以上の何者でもないパウリ氏をつかってやっているように)、彼らはひとまず一歩退く。どんな獲物が手に入るかは、彼らにとってはそれ自体どうでもいいのだ。彼らは亭主持ちにも同じように手をつけている。けれども、はなから邪魔になる夫がいなければ、彼らを追い払ったり閉じ込めたりしておければ、その方がいいに決まっている。恐いからではない。ドイツでは夫があんまり簡単には怒り狂わないということに、彼らはもう気づいている。それでもやはり、彼らがぐでんぐでんに酔っ払ってでもいないかぎり、夫は一歩踏み出すのをためらわせる要因なのである。』
『ドイツの男がそんなに激怒してみせたと聞くのは初めてのことだった。たいていの男は理性的で頭で反応して、自分の肌に傷がつかないように汲々としている。それなのに、女たちも完全に彼らの言いなりなのだ。どの男もだれか女を、自分の妻であれ隣人の妻であれ、戦勝者たちの手に委ねたからといって、面目を潰すことなどない。逆に、もしも反抗でもしてご主人たちの気分を損ないでもすれば、その男はみんなから悪く言われたことだろう。でも、そう簡単には割り切れないものが残る。私は確信するのだが、夫が発作的に示した勇気、何なら愛と言ってもいいが、それを書店主の妻は決して忘れはしないだろう。そしてこの話をあちこちで吹聴している他の男たちも、その口ぶりに明らかに尊敬の念を響かせているのだ。』
こういった記述は現場にいる者にしかできないことですね。ロシア兵がドイツ夫の存在をそんなに気にかけていたなんてかなり意外です。


<秩序と希望の再生>
『ふつう彼らは物を利用するのがへたくそで、品質やら値段やらの見当がつかず、目に飛び込んできた適当な物に食いつくのだ。どうしてそんなことになるのだろう?これまでの人生で彼らはいつも配給された物ばかり体に身につけてきた、だから比較したり選んだりすることができないし、どれが品質のいい物でどれが値段のはる物か、何も分からないのだ。例えば寝具を盗むとして、それはただその上ですぐに寝転がるためでしかない。素材がダウンであるか再生紡糸であるか、彼らには区別もつかない。そしてどんな戦利品よりも彼らにとって価値があるのはいつもシュナップスなのだ。』
著者が初めてロシア兵の姿を見たのは4月27日でそれから1週間程度は暴行と略奪が続く完全な無秩序生活でしたが、さすがドイツというべきか、ロシア側の対応もかなり早かったようで、生活の混乱は意外に早く収まって秩序らしきものが芽生えてきます。5月2日には、「ロシア兵は今後ドイツ人の住居に立ち入ることは許されず、ドイツの民間人とつきあってもならない」という布告が発令。
『ドイツ人の住宅に立ち入るべからずに関しては、実際にそうなるにはまだしばらく時間がかかるだろう。私たちのアパートには虫食いのようにあちこち空き部屋があって、どれもこれも公式に軍隊の宿泊場所として使われているのだから。』
しかし5月7日には、著者の居住地区からロシア兵が一斉にいなくなります。ベルリン市内の混乱を沈静化させるため、ソ連軍は占領統治に必要な部隊以外は全て市外に移動させたのでした。これで暴行される危険は低下しましたが、それは著者のような女性にとっては同時に生きる術を失うことでもあり、パトロンを失った女性たちは飢餓の恐怖にさいなまれる生活を始めることになりました。

やがてライフラインが復旧しソ連軍の強制使役も始まると、厳しいながらも生活に一定のリズムが生まれます。連合国、そしてソ連の占領政策もわからず、明日の運命もわからないものの、ギリギリの生活が確保された上で考えるのは、今後の身の振り方とこの惨禍を招いた戦争について。ナチスの犯罪が明るみにでるにつれ、著者も一人のドイツ人として深い悩みを抱えることになります。
『しかしたとえ、今の場合や似たような場合にそうであるように、悪いのが親衛隊だったとしても、今や戦勝者たちはあの連中も私たちの「民族」の一員に数え入れ、私たち全員に請求書を突きつけるだろう。すでにそんな噂が流れていた。ポンプのところでこんな言葉が何度も囁かれるのを耳にした。「ドイツ軍だってあっちでこれとさほど変わらぬことをやったんだよ」』
『昨日からまた電気が通いだした。ロウソク時代はこれで終わりだ。ドアをいちいちノックしなくてもよくなった。静寂も終わった。ラジオがベルリン放送を流しはじめる。たいていはニュースと真相の暴露、死体と残虐に満ちた血なまぐさい話ばかりが届けれれた。東欧の大きな収容所何ヵ所かで何百万人もの人々が焼かれた、たいていはユダヤ人だったとのこと。その灰から人工肥料が作られたという。そして気違いじみたことには、これらすべてが分厚い帳面にきれいに記録されていたらしい。死の簿記だ。私たちは本当にきちんとした民族なのだ。晩遅くにはベートーヴェンが流れて、聞いているうちに涙が止まらなくなった。スイッチを切った。まだこれには耐えられない。』
そしてある日、著者のもとにフィアンセが帰ってくるのですが、やはり現実はめでたしめでたしでは終わりません。ドイツ本国で悲惨な生活に耐えつつ待っていた女性とそのレイプ経験を受け入れられない復員兵士という図式は決して珍しいものではなかったのだと思いますが、我が身に置き換えて想像するといたたまれませんね。日記は将来に対する大きな不安とわずかな希望を残して宙ぶらりんなまま突然終わってしまいますが、この続きがものすごく知りたい!!と思うのは私だけではないでしょう。


<匿名じゃなかったの?>

ビーヴァーの解説が読みたくて手にした本書ですが、そんなものは無くても本文だけでずっしり重くいつまでも心に残ります。あまりに赤裸々な記述は、初出版当時のベルリンを知らないドイツ人にとってはとても受け入れ難かったということも、同様の体験をしたベルリン市民にとっては二度と思い出したくない記憶を呼び覚ますものであったことも理解できます。ともあれ、良書の条件の一つが終盤にページをめくるのが惜しくなり読後は誰彼なく感想を語りたくなることにあるとすれば、本書は間違いなく良書といえるでしょう。あ~その後の彼女の人生が知りたい!

というわけでちょっと調べてみると、何と著者の本名が明らかになっているではないですか!どうやら著者はマルタ・ヒラーズ(Marta Hillers)さんという方で、50年代に結婚してスイスに移住した、以後ジャーナリズムと関わることはなかったということは判明しているようです。そして上述のように本書はヒラーズ氏死去にともない再販されると、2003年にはドイツで一躍ベストセラーに入ります。本書が受け入れられるのに60年かかったという事実は感慨深いですね。

がしかし、戦後ドイツ文壇のお約束「戦後ナチ批判作家は戦時はナチ協力者であった」の法則が発動。ドイツ人ジャーナリストの調査により、彼女もまた戦時中はナチ宣伝班の一員として活動していたことが明らかにされます。でもまあ、本書を読んで著者の人生の処し方をみていれば別に違和感は感じません。ロシア兵をやり過ごそうとしたのと同様に、戦時中もナチとは決定的な対立は招かず心中では馬鹿にしながら長いものに巻かれながら生きていたのでしょう。そしてそうした態度は責められることではない・・と私なんかは思うのですが、海外ではそう甘くもないようですね。

ただ皮肉なのは、一見旺盛にみえる彼女の状況適応力は、必ずしも彼女を幸せにはしてなさそうなところです。身を守り日々の糧を得るために少しでも高位の扱いやすいソ連軍人を捕まえようという生存戦略は、はたして成功だったかどうか判断は微妙なところです。まあ、それしかやりようがなかったのでしょうが、巧妙に立ち回っているかにみえて実は損をすることが多い人のような印象を受けました。

それはともかく、本書の功績はドイツ人にとって長らくタブーであったテーマを議論の俎上にのせたことにあるのでしょう。戦後ドイツ人にとって戦時の自国被害をことさらに強調することは、ドイツが世界にもたらした被害を相対化することだとして常に禁忌とされてきました。なんか言えば、じゃあホロコーストはどうなんだ!と言い返されるわけで、この辺りの感覚は我々日本人にも馴染みがあるところだと思います。

しかしドイツでは本書の再販と映画化を契機に、ベルリンの集団レイプ被害やドイツ各地の空襲体験を再調査しようという動きがあるそうです。数年前からのヒトラー再認識ブームに加えて、もうひとつあの戦争を捉え直す動きが加わったようですね。ひるがえってわが日本は・・・と思ってしまいます。


<おまけ:映画「Anonyma - Eine Frau in Berlin」について>

本書は2008年に「Anonyma - Eine Frau in Berlin」のタイトルでドイツで映画化されました。ちなみに英語版タイトルは「A Woman in Berlin」で北米では今年の夏に限定公開されたようです。なお日本での公開は未定のようです。英語版DVDがまだ発売されていない(2009年11月予定)ので海外のレビューも多くはないのですが、う~ん・・・評判は微妙な感じですね。貶されてはないものの絶賛でもありません。

気になったのでドイツ語版DVDを観てみましたが・・・ああ、こりゃダメだ。ドイツ語のセリフなどはほとんど意味がわからないのですが、原作と全く違って単なる赤軍少佐との恋物語になってるのは一目瞭然!征服者と被征服者、異なる文化、敵軍人と民間人という板ばさみにあって苦悩する二人。当初の打算的な関係から「本当の」愛らしきものに発展するが・・みたいな展開で、原作者が見たら怒りそうな内容です(笑)。

まあそれでもなかなか生々しい市街戦シーンなどもあり、レイプ・暴力シーンなど赤軍兵の恐ろしさや、原作にあるドイツ民間人と赤軍兵士との奇妙な共同生活風景も描かれるなど映像にしてくれてありがとうという部分もありますが、全体的に原作のニュアンスがかなり変更されているのは間違いありません。やっぱり原作の雰囲気をストレートに描くのは、諸事情を考慮すると難しかったのかもしれません。

しかしこんなどうでも良さげな恋愛映画風になっていても、原作者が実はナチ協力者であったこと、ドイツ人が戦争被害を自ら語ること、その一方でナチの犯罪が一切語られないことに対してなど、やはり批判も多くあるようです。もちろん主人公の愛人少佐以外は野蛮人的にしか描かれていないことで、ロシア人も怒っているようです(笑)。まあね、まだまだ関係修復には時間がかかりそうですが、こういう映画もその過程には必要なのでしょう。

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