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【書籍】『収容所群島5』

Posted: 2009.Oct.02(Fri) 23:45
by Nor
収容所群島5 1918-1956 文学的考察 1977 ソルジェニーツィン 木村浩(訳) 新潮社
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『脱走!ああ、なんというむこう見ずな大胆さだ!-平服もなく、食料もなく、素手だというのに-弾丸の飛びかう構内を通り抜けて、見通しのきく、水のない、果てしなく続く不毛なステップを目がけて脱走するなんて!それはもはや計画ではなく、それは挑戦であり、自殺の誇り高き方法である。私たちのなかで最も力の強い、最も大胆な人びとに残されたこれが抵抗の唯一の方法だったのである!』

<はじめに>

「20世紀を代表するノーベル賞作家」「チェーホフ以来の文豪」などなどといわれる著者の代表作。ソビエト共産党支配の裏面史でもある本作の出版は、著者がソ連から国外追放される直接の原因となりました。「収容所群島」は上下二段組300ページの全6巻からなるルポルタージュ大作で、もちろん全巻読破してこその感動があるのですが、脱走モノをこよなく愛する私が最もオススメするのはこの第五巻。

この一巻だけでも、独ソ戦勃発時のウクライナやウラソフ軍に代表される反逆する人びと、それらの人びとに課された徒刑や流刑という罰と特殊収容所の歴史、著者自らが経験した収容所生活、脱獄と反抗の事例、スターリンの死とベリヤ失脚時の収容所の変化など扱うテーマは多岐にわたっていますが、なんといっても読んで面白いのは中盤以降の脱獄と反抗の具体的なエピソードです。


<塀の外も敵だらけ>

ソ連の収容所システム(グラーグ)というのは、単に悪いヤツを閉じ込めておくor矯正するのが目的ではなく、計画経済の遂行に不可欠なシステムとして存在していたという点が独特です。誤解を恐れずにいえば、誰でも彼でも労働力として捕まえて死ぬまでタダで働かせるのが目的といえばいいでしょうか。「収容所群島」というタイトルも、孤島のようなひとつひとつの収容所(ラーゲリ)を領土とする群島のような国家(グラーグ)が、ソ連という国家の中にもうひとつの国家として厳然と存在することを表しています。グラーグの全体像を把握するには全巻読破するか、最近出版されたアン・アプルボームの『グラーグ』を読むのがオススメです。

さて、著者自身は戦時中に友人に宛てた手紙(小説の下書きだった)でスターリン批判をした疑いで8年の強制労働を食らって収容所を渡り歩き、最終的に特殊収容所に投獄されました。特殊収容所に入れられたのは大半が政治犯でした(といっても著者のように些細な体制批判をしたり忠誠を疑われただけだったりする)。1950年当時のソ連の最高刑は25年の強制労働で、囚人たちはこれを「25ルーブル」と呼び、政治犯の多くはこの25ルーブル組でした。

そして彼らにとって脱走を企てるのは、ある種当然の選択だったのです。脱走に失敗して再投獄されてもその時点から25年の刑が課されるだけです。刑期をまともに勤め上げようとしてもほぼ間違いなく死んでしまうのだから、このチャンスに賭けない手はありません。もちろん、脱走中に餓死したり射殺されたり捕まった時に拷問にあって死ぬ危険はあるのですが、そんな危険は収容所内にいても同じ程度にあるのです。う~ん、凄まじい・・

中盤からは、このような「確信に満ちた脱走囚」たちの脱走譚が豊富かつ詳細に紹介されていますが、成功した事例がほとんど無いという事実に圧倒されます。国内に身寄りもあり祖国を愛している彼らの多くは国外への逃走を考えません。母なるロシアは広大で身を隠す場所なら不自由はしないだろうというわけです。しかし、幸運に恵まれて収容所から脱走でき、過酷すぎる自然環境を克服できたとしても、完全に体制側である民衆から逃れ続ける術はないのです。

著者は最大の問題は大衆の世論にあると喝破します。かつて帝政ロシア時代の収容所では大規模な脱走や暴動が発生しましたが、それらは全て囚人に同情的な世論があってこそでした。皇帝に逆らって投獄された人びとを助けるために、遊牧民は夜になると家の前に食料を置いたといいます。ところがスターリン時代になると、いかなる形であれ脱走を手助けすれば(脱獄囚であることに気づかないだけても!)25年の刑が科せられるようになり、政治犯に対する大衆のイメージは次第に完全な悪へと変化していきました。うん、こりゃ脱走はムリだわ。

それでも、他民族国家ならではの逃げ道はわずかにあったようです。ウクライナ人はロシア人は助けないけどウクライナ人同士なら助け、コサックも新たに流刑にされてきたコサックは助けたといいます(はるか昔に流されたコサックがシベリアでは実力者となっていた)。これだけなら弾圧された少数民族内の助け合いって感じですが、チェチェン人は政治犯なら誰でも助けた(!)というのが面白い。反体制なら何でもアリというわけですが、現在のチェチェン紛争はそういう心性の延長にあるんだなあと思うとシミジミしちゃいますね。


<ああ、おそロシヤ!>

1951年に死刑制度が導入されると脱走は下火になっていきますが、この頃には収容所内の囚人に意識の変化が起こっていたといいます。
『以前の収容所哲学だった次のような考え方が少しずつすたれていった-貴様はきょう死ね、俺は明日だ。どんなことをしても、正義なんてないのだ。これまでの習わしは将来とも変わらないだろう・・・・ところが、どうして正義はないのか?・・・・どうして将来とも<変わらないのか?>という疑問が生まれてきたのだ。』
こうした意識変化の結果として生まれた最初の行動は、収容所内の密告者を手製ナイフで刺殺する「人斬り」でした。このような裏切り者の処刑が白昼堂々と行われるようになると、密告者たちはもはや密告しなくなり、収容所警備陣は目と耳を失い、囚人たちは初めて自分の考えを公然と表明できるようになり、かつて味わったことのない自由を感じたといいます。

この変化は収容所側との直接対立につながっていきます。看守の命令に従わない囚人に対して看守は一人では手出しできなくなり、業を煮やした収容所側が強硬手段に出ると、3000人の囚人たちはハンストで抵抗。結局この抵抗は硬軟とりまぜた収容所側の対応でなんとか収まりますが、「自由のビールス」は特殊収容所以外の収容所群島全体に拡散していき、スターリンの死とベリヤ失脚の年である1953年には各地の収容所で暴動が発生しました。なんたって収容所を管轄する内務省のトップはベリヤであり、そのベリヤが突然失脚したのです。
『(前略)「やあ、どうですかね?」と、囚人たちはからかい半分に彼にたずねた。「あんたがたの一番偉い人は人民の敵じゃないんですかね?」-「うむ、そういうことになるかね」と、規律担当官は困った顔をした。「なにしろ、彼はスターリンの右腕だったんだからね!」と、囚人たちはからかった。「ということは、スターリンも気づかなかったわけですかね?」-「そういうことになるね・・・」と、この将校は悪びれもせずに応じた。「いや、この分じゃ、ひょっとすると、君たちは釈放されるかもしれないね。もう少し待つんだね・・・」』
興味深いのは、収容所暴動のきっかけを作ったのは、ウラソフ軍参加者などのウクライナ系民族主義者たちと、独ソ戦の最中にドイツ軍の捕虜になった元兵士たちだったというところでしょう。前者は公然とロシアに反旗を翻したのだから収容所送りにするのもわかりますが、祖国のために必死で戦った後者まで人知れず亡き者にしようという計画はまさにおそロシヤ!さらに加えて、著者が告発するまでそういう事実が表に出なかったというのがまた輪をかけておそロシヤ!!

こうしていよいよ盛り上がってきた辺りで五巻は終わってしまうので、どうしても続きの第六巻も読まずにはいられなくなります。最終巻は完全に戦後のフルシチョフ時代の話でSPWAWとは全く何の関係もなくなりますが、「ロシア的なるもの」や「ソ連的なるもの」を理解するにはうってつけの本であることに間違いはありません。本書を読めば、AARで使う「シベリア送りにしてやる!」なんてベタな一言にも、これまでにない迫力がこもること間違いなしです(笑)。

ちなみにソルジェニーツィンの著作の中で私が最も面白いと思うのは、自伝である『仔牛が樫の木に角突いた』です。収容所生活の後『イワン・デニーソヴィチの一日』でデビューして作家として名を上げ、政府の監視下に置かれるようになっても地下出版で著述を続け、彼の存在を葬ろうとする当局に抗い、ついにはアンタッチャブルな存在となって国外追放される過程が克明に描かれています。大部にも関わらず最初から最後までドキドキハラハラ、マジかよマジかよといいながらあっという間に読めてしまう極上のノンフィクションです。