430-First Attack-Part 1
Posted: 2006.Jul.10(Mon) 16:19
数年前に作成した日本軍シナリオです。長らくお蔵入りしていましたが、Enhanced対応にして日の目を見させようと思います。ご意見・ご感想・AARなど、ポジティブ・ネガティブ問わず何らかのフィードバックお願いします。
06.07.29 テストプレイ募集終了。完成版とします。
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第一撃 パート 1
日本 Assault vs イギリス Defend
マレー半島、英領コタバル、サバク海岸
1941年12月8日0130時
ターン:15、有効視界:6
シナリオ規模:中隊+
難易度:高
推定プレイ時間:〜3時間
SPWAW Enhanced 対応
デザイン:Nor
テスト:老兵、Zwerg、Mau fox、サト、dugong、Sufiy
注:日本軍側でのみプレイしてください。"C&C"オンでもプレイ可。
1941年12月7日午後11時55分、コタバル周辺サバク海岸の沖合4000mに3隻の日本軍輸送船が投錨した。その輸送船団には佗美支隊の兵員5,310名が満載されていた。コタバル上陸は12月8日午前2時をもって開始される予定だったが、予想外の強い偏西風のため、真珠湾奇襲の数時間前に、上陸部隊は上陸開始地点に到着していた。波高1.5m、北東の風10m、豪雨はやみ月はわずかに顔をだしていた。この悪条件にもかかわらず、輸送船が投錨するやいなや上陸用船艇への移乗が開始された。
1941年12月8日午前1時35分、コタバル奇襲が開始された。南雲機動部隊を飛び立った日本軍機がまだ真珠湾に向かっていたこの瞬間、太平洋における第二次世界大戦の火蓋が切って落とされたのだ。
【シナリオについて】
あなたは数井教雄少佐となり、佗美支隊第一大隊の指揮をとって敵前上陸を敢行することになります。コタバル上陸作戦は、事前砲爆撃のない古典的な奇襲上陸作戦でした。このため本シナリオでも日本軍に支援火砲はありません。ただし、各歩兵小隊には擲弾筒分隊があるので、これを間接支援に活用することは可能です。
【背景】
「マレー半島の防備は強力にしすぎてはいけない。もしそうなれば日本軍は上陸を試みようとしないだろう。」 − ある英軍将校
1941年12月4日、山下奉文中将率いるマレー攻略を担当する第25軍は、海南島三亜を出港した。当初、第25軍は全部隊をタイ領に上陸させる意向だった。英領コタバルには第8インド旅団が展開しており、激戦が予想されたからだった。さらに悪いことに、コタバル周辺の飛行場には40機近くの英軍機が配置されていることも判明していた。しかし最終的に第25軍司令部は、シンゴラに向かう主力部隊を安全に上陸させるべく、佗美支隊を「おとり」としてコタバルに上陸させることを決断した。
一方、英軍は日本軍の戦闘力は劣っており、中国軍という劣った軍隊同士ならまあ何とか戦えるだろうが、強力な英軍の相手ではないと考えていた。当然、英極東軍総司令官サー・ロバート・ブルックポーハム空軍大将は、日本軍のマレー進攻に備えてある作戦を準備していた。それは北部タイ領に進駐するという「マタドール」作戦だった。しかし日本軍輸送船がタイ沖合で発見されたという報告を受けた時、彼はマタドール作戦の発動をためらったのだ・・。
【結末】
コタバルの防備を担当していたのは、B.W.キー准将率いる第9英印歩兵師団第8インド旅団だった。日本軍が上陸した10マイルに及ぶサバク海岸一帯の防衛は、第17ドグラ連隊第3大隊が担当していた。砂浜には有刺鉄線と地雷が敷設され、多くのトーチカが構築されていた。日本側資料によると、トーチカにはインド兵が鎖で足を繋がれていたという記録が残っている。
日本軍が海岸に押し寄せてきたことがわかると、英軍砲兵は直ちに砲撃を開始した。ついで上陸用船艇の姿を確認すると、ドグラ連隊も一斉に発砲を開始した。激しい砲撃によって多くの上陸用船艇が転覆・沈没し、次々に死傷者が発生していった。なんとか上陸した部隊も激しい攻撃をうけ、遮蔽物のない砂浜で釘付けにされた。しかし最初の混乱が収まると、兵士たちは手で砂浜を掘り、有刺鉄線をくぐりぬけ、前進を開始した。
午前2時20分、第一回上陸部隊の舟艇が淡路山丸上の佗美支隊長のもとに上陸成功の報をもたらした。佗美支隊長は直ちに軍司令部に「八ヒ0130第一回上陸成功す。敵の抵抗激しく熾烈なる銃砲声を聞く。なお、船団は敵機の爆撃を受けつつあり」と打電した。事実、この時輸送船団は極東英空軍のハドソン爆撃機により、繰り返し攻撃をうけていた。護衛艦隊指揮官・橋本信太郎海軍少将は安全を期して船団退避と上陸延期を提案したが、佗美支隊長はすでに上陸した部隊をそのままにしておくことは出来ないとして上陸続行を決定した。
午前2時30分、佗美支隊長以下の第二回上陸部隊が大発に移乗。高波と格闘しつつ海岸に辿り着いたが、70mの至近距離からトーチカに斉射され釘付けとなった。しかし佗美支隊長は「突撃!」の号令一下、自らが先頭に立ち敵陣に突入した。この時点で白人兵はすでに退却を開始しており、残されたインド兵は主戦線を突破されると各所で潰走をはじめた。午前8時には支隊全兵力が上陸完了したが、トーチカに繋がれた必死のインド兵の抵抗は午後8時頃まで続いたという。
この上陸作戦で上陸用船艇15隻が沈没し、佗美支隊は500名以上の死傷者を出した。さらに淡路山丸は機関が停止し、第二次大戦において日本海軍が初めて失った艦船となった。
日本綱豹司令部
http://headquarters.s4.xrea.com/phpBB3/
06.07.29 テストプレイ募集終了。完成版とします。
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第一撃 パート 1
日本 Assault vs イギリス Defend
マレー半島、英領コタバル、サバク海岸
1941年12月8日0130時
ターン:15、有効視界:6
シナリオ規模:中隊+
難易度:高
推定プレイ時間:〜3時間
SPWAW Enhanced 対応
デザイン:Nor
テスト:老兵、Zwerg、Mau fox、サト、dugong、Sufiy
注:日本軍側でのみプレイしてください。"C&C"オンでもプレイ可。
1941年12月7日午後11時55分、コタバル周辺サバク海岸の沖合4000mに3隻の日本軍輸送船が投錨した。その輸送船団には佗美支隊の兵員5,310名が満載されていた。コタバル上陸は12月8日午前2時をもって開始される予定だったが、予想外の強い偏西風のため、真珠湾奇襲の数時間前に、上陸部隊は上陸開始地点に到着していた。波高1.5m、北東の風10m、豪雨はやみ月はわずかに顔をだしていた。この悪条件にもかかわらず、輸送船が投錨するやいなや上陸用船艇への移乗が開始された。
1941年12月8日午前1時35分、コタバル奇襲が開始された。南雲機動部隊を飛び立った日本軍機がまだ真珠湾に向かっていたこの瞬間、太平洋における第二次世界大戦の火蓋が切って落とされたのだ。
【シナリオについて】
あなたは数井教雄少佐となり、佗美支隊第一大隊の指揮をとって敵前上陸を敢行することになります。コタバル上陸作戦は、事前砲爆撃のない古典的な奇襲上陸作戦でした。このため本シナリオでも日本軍に支援火砲はありません。ただし、各歩兵小隊には擲弾筒分隊があるので、これを間接支援に活用することは可能です。
【背景】
「マレー半島の防備は強力にしすぎてはいけない。もしそうなれば日本軍は上陸を試みようとしないだろう。」 − ある英軍将校
1941年12月4日、山下奉文中将率いるマレー攻略を担当する第25軍は、海南島三亜を出港した。当初、第25軍は全部隊をタイ領に上陸させる意向だった。英領コタバルには第8インド旅団が展開しており、激戦が予想されたからだった。さらに悪いことに、コタバル周辺の飛行場には40機近くの英軍機が配置されていることも判明していた。しかし最終的に第25軍司令部は、シンゴラに向かう主力部隊を安全に上陸させるべく、佗美支隊を「おとり」としてコタバルに上陸させることを決断した。
一方、英軍は日本軍の戦闘力は劣っており、中国軍という劣った軍隊同士ならまあ何とか戦えるだろうが、強力な英軍の相手ではないと考えていた。当然、英極東軍総司令官サー・ロバート・ブルックポーハム空軍大将は、日本軍のマレー進攻に備えてある作戦を準備していた。それは北部タイ領に進駐するという「マタドール」作戦だった。しかし日本軍輸送船がタイ沖合で発見されたという報告を受けた時、彼はマタドール作戦の発動をためらったのだ・・。
【結末】
コタバルの防備を担当していたのは、B.W.キー准将率いる第9英印歩兵師団第8インド旅団だった。日本軍が上陸した10マイルに及ぶサバク海岸一帯の防衛は、第17ドグラ連隊第3大隊が担当していた。砂浜には有刺鉄線と地雷が敷設され、多くのトーチカが構築されていた。日本側資料によると、トーチカにはインド兵が鎖で足を繋がれていたという記録が残っている。
日本軍が海岸に押し寄せてきたことがわかると、英軍砲兵は直ちに砲撃を開始した。ついで上陸用船艇の姿を確認すると、ドグラ連隊も一斉に発砲を開始した。激しい砲撃によって多くの上陸用船艇が転覆・沈没し、次々に死傷者が発生していった。なんとか上陸した部隊も激しい攻撃をうけ、遮蔽物のない砂浜で釘付けにされた。しかし最初の混乱が収まると、兵士たちは手で砂浜を掘り、有刺鉄線をくぐりぬけ、前進を開始した。
午前2時20分、第一回上陸部隊の舟艇が淡路山丸上の佗美支隊長のもとに上陸成功の報をもたらした。佗美支隊長は直ちに軍司令部に「八ヒ0130第一回上陸成功す。敵の抵抗激しく熾烈なる銃砲声を聞く。なお、船団は敵機の爆撃を受けつつあり」と打電した。事実、この時輸送船団は極東英空軍のハドソン爆撃機により、繰り返し攻撃をうけていた。護衛艦隊指揮官・橋本信太郎海軍少将は安全を期して船団退避と上陸延期を提案したが、佗美支隊長はすでに上陸した部隊をそのままにしておくことは出来ないとして上陸続行を決定した。
午前2時30分、佗美支隊長以下の第二回上陸部隊が大発に移乗。高波と格闘しつつ海岸に辿り着いたが、70mの至近距離からトーチカに斉射され釘付けとなった。しかし佗美支隊長は「突撃!」の号令一下、自らが先頭に立ち敵陣に突入した。この時点で白人兵はすでに退却を開始しており、残されたインド兵は主戦線を突破されると各所で潰走をはじめた。午前8時には支隊全兵力が上陸完了したが、トーチカに繋がれた必死のインド兵の抵抗は午後8時頃まで続いたという。
この上陸作戦で上陸用船艇15隻が沈没し、佗美支隊は500名以上の死傷者を出した。さらに淡路山丸は機関が停止し、第二次大戦において日本海軍が初めて失った艦船となった。
日本綱豹司令部
http://headquarters.s4.xrea.com/phpBB3/