"Stalingrad - New" TXT
以下、事前説明のテキスト訳です。
事前説明00
スターリングラードへの道
1942年6月27日
おはよう司令官殿。これまでの功績により、君は昇進することになった。これまで君は独立戦闘団第110大隊の指揮を執り、多くの戦場で臨機応変に戦える能力を発揮してきた。
君には諸兵科連合戦闘団を編成してもらう。君の部隊は我が軍の来るべき攻勢「ブラウ作戦」で必要に応じてあらゆる場面に投入されるだろう。
編成にあたっては、優秀な戦車2個小隊と普通歩兵1個中隊、およびその他の援護部隊を揃えるのが良いだろう。歩兵部隊は特に肝心だぞ。歩兵部隊の輸送手段はキャンペーンを通して提供されるので、任務指令で特に指定されない限り購入する必要は無い。
任務指令:
君の戦闘団は前線へ向かうことになっている。そこで君の任務は、第24装甲師団付属の補給トラック部隊を前線まで安全に送り届けることだ。
支給される輸送車輌上に歩兵部隊を配置すれば、1ターン目で搭乗することができる。君の部隊は一時的に第24装甲師団に編入されることになっている。したがって、補給トラック部隊を第24装甲師団に送り届けることが何より重要だ。
史実−ブラウ作戦
1941年冬、モスクワ前面の戦いで敗北したドイツ軍の攻勢目標は、南方のコーカサス油田地帯に変更され、この計画が後にブラウ作戦に発展した。ブラウ作戦の目的は、コーカサス地方の油田地帯を占領すること、ソ連軍大部隊を古典的な包囲殲滅戦法で粉砕すること、そしてソ連の戦争継続意志を挫くことだった。この目的は、ブラウI、ブラウII、ブランスウィックの3作戦で達成される予定だった。
1942年6月28日、ブラウI作戦が開始された。ドイツ第6軍に伴い第2・第4装甲軍がヴォロネジへ進撃・集結し、ヴォロネジ西方のソ連軍を包囲することになった。次に、ドン川沿いにスターリングラードへ続く南東方面への進撃路の起点としてヴォロネジを攻略し、コーカサスの油田に向かうドイツ軍側面の安全を確保する予定だった。
ブラウII作戦には第6軍によるヴォルガ河畔の都市スターリングラードの確保が含まれ、これが達成されれば側面の援護をうけた第4装甲軍がカスピ海沿いのアストラハンに向かう予定だった。その後立案されたブランズウィック作戦は、スターリングラード攻略を含むものだった。
本キャンペーンでは、ブラウ作戦で重要な役割を演ずる架空のドイツ軍戦闘団が登場します。これは、プレーヤーがこの極めて重要な戦いの悲惨さをよりよく理解する唯一の方法だからです。 ただし、本キャンペーンで描かれる戦闘は全て史実に基づいています。
SPWAW Arsenal Team
Wild Bill's Raiders
最初の戦いは、ブラウ作戦発動前夜、ドイツ軍補給線に対するパルチザンの攻撃を描いています。このシナリオに登場するパルチザンは、1942年5月ハリコフ周辺で行われた包囲戦から脱出したソ連正規軍で、不正規軍とは一味違っています。したがって不用意な交戦は避けるべきでしょう。
作成者:Bryan "Marauder" Melvin and Brent "Grenadier" Richards
動作テスト:Stuart Millis, Massimo Rocca, Don Doom, Lars Beilecke, "Rockin Harry" Zahn
事前説明01
スターリングラードへ!!
任務指令−1942年7月31日
君は第58装甲軍団から第6軍へ転属になった。ステップにある村落を攻略し、深い枯谷にかかる鉄橋と主要橋梁を確保せよ。
繰り返すが、君の歩兵部隊を輸送するハーフトラックは提供される。あらかじめスタックしておけば、第一ターン開始時にこれらの輸送車輌に搭乗することができる。
史実:
ソ連軍の反抗を撃退しヴォロネジを確保すると、ヒトラーはブラウII作戦として第1装甲軍と第17軍に対し攻勢開始を命じた。ヒトラーは同時に南方軍集団司令官フォン・ボック元帥を罷免し、南方軍集団は2分され、A軍集団はウィルヘルム・リスト元帥、B軍集団はフォン・ヴァイクス元帥の指揮下に置かれた。
ホト上級大将率いる第4装甲軍はクライスト大将の第1装甲軍と呼応してミレロヴォに集結し、逃走するソ連軍を包囲せよとの命令を受けた。しかしこの作戦は失敗し、ブラウ作戦の予定は大幅に狂ってしまう。
次にホト第4装甲軍が受けた命令は、ドン川対岸を確保しドン川北方のソ連軍を包囲することだった。しかしティモシェンコ元帥は再び寸でのところで川を渡り逃げ切った。
A軍集団と第4装甲軍の燃料はドン川屈曲部とスターリングラードに向かうパウルスの第6軍から回されたため、第6軍の進行速度は大幅に遅れ、第6軍装甲部隊は2週間もステップで立ち往生し燃料庫は空になった。
ホト第4装甲軍が南に向かい第6軍が燃料を求めて待機している間、ソ連軍部隊は市街地や村落に至る道路の防備を固めていた。このソ連軍部隊は未熟な新兵を集めて新しく編成された第62・第64軍だった。
スターリンは一歩も後退するべからずという厳命を下した!!ティモシェンコはエレメンコと交代し、新しいスターリングラード戦線が構成された。ソ連兵は塹壕を掘り、敵を待ち構えた。ソ連軍はドン川屈曲部でドイツ軍の到来を今や遅しと待ち構えていた。ドイツ軍が注意深ければ、ソ連軍の抵抗が強固になっていることに気づいただろう。
事前説明02
無謀な作戦
任務指令−1942年8月2日
我が栄誉ある第6軍はソ連軍数個師団をドン川屈曲部に包囲した。君はドン川を背に塹壕を構え、包囲された赤軍が包囲網を突破しドン川を越えられないようにするのだ。今夜イワンたちは包囲網を突破するためならどんな手でも使ってくるだろう。
史実:
1942年7月23日、第14装甲軍団はソ連第62軍のドン川防御線を突破し、8月2日には第62・64軍および第4戦車軍の典型的な挟撃作戦によりドン川西岸に包囲されていた第24装甲軍団との連絡が可能になった。
しかし、包囲できたソ連軍の数はドイツ軍総司令部が望んだほどではなかった。にも関わらず、第14装甲軍団はドン川とその支流に背水の陣を敷き、包囲されたソ連軍が東方へ脱出するのを防がなければならなかった。
弱小なドイツ軍防御線を突破してドン川を渡りいつの日か再び戦うために、その夜、ソ連軍はあらゆる力を尽くした。そしてソ連軍の多くは穴だらけのドイツ軍防御線を突破してドン川を越えた。
この時ヒトラーは、スターリングラード攻略を命ずる総統指令第45号を発布し、同市攻略を援護するために第4装甲軍を北方に反転させた。
事前説明03
高射砲の女性兵士
任務指令−1942年8月23日
我々はようやくドン川を渡りきり、スターリングラードへの進撃を開始した。君は直ちに行動を開始し、グムラクにある飛行場を占拠することになった。敵の高射砲部隊が我々の進撃を妨害している。やつらを一掃するのだ!
史実:
補給物資不足のため予定は遅れたが、ドイツ第6軍はようやくドン川を渡りきり、スターリングラードへの進撃を開始した。
フーベ将軍に率いられた第14装甲軍団第16装甲師団は急速に進撃し、午後遅く、師団先遣隊はスターリングラード北方郊外に到達した。先遣隊はドイツ空軍が1000機以上の航空機でスターリングラードを絨毯爆撃するのを目撃した。木造構造物は完全に破壊され、わずかに煙突が残っているだけだった。
ドイツ軍が街の郊外に接近すると、ソ連軍火砲と高射砲部隊に遭遇した。これらは即座に一掃されたが、その砲を操作していたのが女性と工場労働者だということを知ると兵士達は驚愕した。
事前説明04
ドンとヴォルガ
任務指令−1942年9月2日
ソ連軍が大量の戦車で我々の北側面を攻撃している。やつらを止めなければ我が軍の補給線は遮断され、大混乱に陥るだろう。ヴァイテルシュハイム将軍は君に期待している。君の戦闘団は第16装甲師団第2装甲連隊のシュトラハヴィッツ大隊に編入される。
史実:
ドイツ軍がヴォルガ川に到達したという報告を受けるとスターリンは激怒した。スターリンはスターリングラードに死守命令を出し、ドイツ軍の圧力から都市を救援するため、ジューコフには直ちに反攻準備を整えるよう命じた。
1942年9月2日、ソ連第1親衛軍と第24・66軍は、ドン川−スターリングラード間の北方回廊で装甲部隊による大規模な反攻を開始した。およそ10日間続いたその攻撃は全く協調性を欠いたものであり、ジューコフも砲撃密度が低すぎたことを指摘していた。この攻撃では多数のレンドリース戦車が使用され、その多くが母なるロシアのステップで炎上したまま放置されていた。
第14装甲軍団は、増援が来ないならばヴォルガ川から撤退するしかないとフーベが恐れたほど苦戦を強いられた。その時、第4装甲軍がアブガネロヴォを突破して第62・64軍の後方を分断し、一転してスターリングラードの防衛体制が危機に瀕した。
この時パウルスがすべき事は唯一つ、南方のホトと合流するために、熟した果実のように無防備な状態におかれているスターリングラードに突入することだった。しかしパウルスは最初の致命的な決断を下した。ホトと合流するための第51軍団の攻撃を取り消したのだ。
事前説明05
血塗られた丘
任務指令−1942年9月14日
君の戦闘団は第295歩兵師団を支援し、ママエフ・クルガン高地への攻撃を先導することになった。この高地はこの辺りで最も標高が高く、我々の攻撃を成功させるには欠かせない要衝だ。
ソ連軍とてそう易々とこの要衝を我々に渡すはずがないだろう。支援部隊は慎重に選択せよ。火砲は提供されることになっている。
史実
北方での反攻作戦が失敗すると、エレメンコとクルシェフは切迫したドイツ軍の攻撃から街を防御するという方針に切り替えた。また、第62軍司令官ロパーチンには敗北主義者の烙印がおされ、後任にはホト将軍の第4装甲軍を長期間にわたって撃退していた第64軍司令官ヴァシリ・チュイコフが任命された。
1942年9月13日、スターリングラード攻略戦が開始され、大量の航空機と火砲による砲爆撃が市街中心部と102高地として知られスターリングラードの最高地点でもあるママエフ・クルガンを襲った。この高地はかつてタタール人の埋葬地だった場所で、現在は第62軍司令部の所在地でもあった。第62軍の新司令官ヴァシリ・チュイコフ将軍は、この要衝の高台から狼狽して砲撃を見下ろしていた。
ママエフ・クルガン高地の戦いは、9月13日の朝、第295歩兵師団の突撃を合図に始まり、1943年2月にスターリングラード戦が終結するまで続くことになる。9月13〜14日の攻撃でドイツ軍は高地を占領することにほぼ成功しかけたが、最後の瞬間にロジムツェフ将軍率いる第13親衛狙撃師団第42連隊が到着し、ドイツ軍を撃退した。
2日の間、高地の所有権は目まぐるしく入れ替わり、両軍ともに甚大な被害を被った。第42連隊の損耗率は30%を記録し、第295師団の戦力は数個中隊規模にまで落ち込んだ。また、ソ連軍狙撃兵によるドイツ軍士官の死傷者は莫大な数にのぼり、戦闘開始早々不穏な兆候を示していた。
事前説明06
もう戦争は終わる
任務指令−1942年9月16日0800時
君はスターリングラード市街の攻撃を支援することになった。君の戦闘団はハルトマン将軍の第71歩兵師団に配属されることになった。最初の目標は鉄道駅だ。その後市街地に突入し、赤の広場を確保してヴォルガ川に向かえ。幸運を祈る。砲兵は提供される。歩兵と支援部隊が必要になるだろう。
史実:
9月14日、パウルス将軍は砲兵出身の将軍ワルター・フォン・ザイドリッツ・クルツバッハが指揮するする第51軍団の第24装甲師団と第71・第295歩兵師団の攻撃をもってスターリングラード市街地突入を開始した。
対するソ連軍部隊は、第244狙撃師団の残党だった。この時チュイコフは極度の難局に立たされており、ドイツ軍の進撃を遅らせるためにあらゆる手段を利用した。増援予定の第13親衛狙撃師団を夜間に到着させるには、渡船場の支配権を維持することが何より重要だった。チュイコフはサライェフ大佐の第10NKVD師団を第62軍の指揮下に置き、建物ごとに配置した。戦車隊に支援された第71歩兵師団は前線2マイルにわたって市街地に侵入した。
当初戦闘は軽微だったが、やがて歩兵部隊が市街中心部の主要道路に入ると負傷者は急増した。建物に潜むソ連兵は砲撃で空いた穴の隙間から前進するドイツ軍の下士官を狙い撃ち、モロトフ・カクテルを戦車の後部デッキに叩きつけた。
しかしドイツ軍は損害にも関わらず前進を続け、やがてヴォルガ川が視界に入ると、ドイツ兵たちはまもなく戦争は終わるだろうと考え歓喜した。まさか、苦難はまだ始まったばかりだとは思いもしなかった。
事前説明07
穀物サイロ
任務指令−9月18日
ソ連軍はスターリングラード市街南方の巨大な穀物サイロで我が軍の進行を阻んでいる。君の戦闘団が消耗しているのは理解しているが、地理的にみてこの地域に進出できるのは君の部隊だけなのだ。さあ配置について目標を占領するのだ!
史実:
パウルスが市街中心部とママエフ・クルガン高地を攻撃している間、ホトの第4装甲軍はゆっくりと旧市街地に進撃しツァリーツァ渓谷の南方までの敵を一掃していた。ホトは第48装甲軍団所属の第24装甲師団、第29自動車化歩兵師団、第94歩兵師団の3個師団を率いて前進していた。彼らの進路上にあった最後の攻略目標は、市街南部一帯を見下ろせる巨大な穀物サイロだった。
スターリングラードのこの巨大サイロでの戦いは、何よりソ連兵士の勇猛果敢さを示す戦いだった。最終的には全滅したが、15人のソ連海軍兵と第13親衛狙撃師団の1個大隊はドイツ第24装甲師団と第94歩兵師団を相手に数日間この穀物サイロを守りきった。
ドイツ軍は昇降機から内部の穀物まであらゆるものに銃弾を浴びせた。両軍は超至近距離で接近戦を繰り広げ、お互いの息遣いまで聞こえるほどだった。
ソ連親衛歩兵の日記から・・・
「我々は戦車が接近してくる不吉な音を聞いた。すぐ傍の物陰からずんぐりとしたドイツ軍戦車が這い出してきた。これで完全に終わりだ。我々はお互いにサヨナラを言った。私は短剣でレンガの壁にこう彫りつけた「ロジムツェフ将軍の親衛歩兵、祖国のために戦いここに倒れる」。ドイツの戦車は建物(穀物昇降機)の壁を押し倒した。
その夜、他の5名の兵士と私は、みな傷ついたまま建物から脱出し、よろめきながらもヴォルガ川を目指した。我々はドイツ軍のパトロール隊に出くわし、照明弾で照らし出され発見されてしまった。しかし斥候を静かにナイフで刺したため、そのまま逃げ切ることができた。他のパトロール隊にも出くわしたが、再び静かに刺し殺した。
我々は線路を超え、地雷原を横切り、ようやくヴォルガ川に辿りついた。建物の残骸から木材を持ち出してイカダを作った。救出されるまでの数日間、我々はヴォルガ川を漂っていた。」
事前説明08
ヴォルガ河のヴェルダン
任務指令−1942年10月14日
君の部隊は数日間休養をとったはずだ。今回は北部にあるトラクター工場の攻撃を支援してもらう。君の部隊は第24装甲師団に配属される。なお砲兵は用意されている。
史実
1942年10月14日、フォン・ザイドリッツ・クルツバッハ将軍の第51軍団と第6師団は、スターリングラード北部の工場地帯に総攻撃を開始した。ジェルジンスキー・トラクター工場は、パウルス指揮下の戦力を増強するため第4装甲軍から派遣された第24装甲師団および第94歩兵師団の目標となった。
この戦いは激烈を極め、兵士たちは壁一枚隔てただけの工場内の各部屋や組み立てライン越しに超接近戦を繰り広げた。接近戦に不慣れな独軍兵士にとってこの戦いは非常に困難なものであり、対するソ連第112狙撃師団は独軍を簡単に通してやるつもりはなかった。
この市街戦は、ファルケンハインの肉挽き器といわれた1916年のヴェルダン攻防戦を想起させるほどの一大消耗戦・物量戦に発展した。ソ連軍の得意な接近戦に引きずり込まれた結果、近代的な独軍の機動力という利点は完全に浪費され、死傷者の数は飛躍的に増加していった。
事前説明09
バリケード工場の惨劇
任務指令−1942年10月18日
我々は赤いバリケード工場に突入を開始した。君の部隊も合流して攻撃を支援し、敵を追い出すのだ!君の担当は鋼管工場(tube mill)、砲身組立場(gun assembly hall)、鋳造所(foundry)だ。
史実
第51軍団は10月17日までにトラクター工場を制圧したが、膨大な損害を出していた。次の攻撃目標は赤いバリケード工場地帯だった。この工場は主要な火砲生産工場の一つで、ヴォルガ川を渡って到着したばかりの第138狙撃師団が猛然と守備していた。
ドイツ軍の戦術は、軽機関銃・軽迫撃砲・火炎放射器および擲弾を装備した小規模な突撃部隊で建物を掃討することに変更されていた。両軍部隊は工場の床が血で滑る屠殺場に変わるまで、何週間も建物に缶詰にされ、市街地では下水道を使ってドイツ占領地区に忍び込むソ連軍との戦闘が続いていた。
ヤコブ・パヴロフという名の軍曹は、レーニン廟を見下ろす4階建ての建物を9月末に占領し、4週間もの間維持した。この時期、ソ連狙撃兵は、ドイツ軍下士官と砲撃観測兵の命を着実に奪っていった。
10月末には両軍の戦力は消耗しきっていた。
ソ連軍守備隊はほとんどの工場から撤退し、赤いバリケード工場地帯の製パン工場、人民委員部、および「テニスラケット」引き込み線路に囲まれたラズール化学工場を中心としたヴォルガ川岸のわずか数百メートルの範囲に追い込まれていた。チュイコフにはこれ以上の増援部隊はなく、砲兵の弾薬もぎりぎりまで切りつめられていた。
しかし、もはやパウルスにも歩兵戦力がなかった。市街地の疲弊した師団はドン河岸およびドン・ヴォルガ間の橋梁を守備する師団と交替させなければならなかったが、北部戦線沿いでの相次ぐ小戦闘により、この交替師団の歩兵戦力も定数を満たしていなかった。
事前説明10
パウルス最後の攻勢
任務指令−1942年11月11日
これが最後だ!君が休養している間、戦闘は2ヶ月目に突入した。君はバリケード工場地帯に向かい、ロシア野郎を追い払うのだ。
エリート工兵部隊が君の指揮下におかれ、砲兵も支給される。君の目標は、製パン工場と人民委員部、および工場地帯の残りの建物を攻略することだ。
史実
赤いバリケード工場地帯の戦闘は激烈を極め、戦闘に投入された部隊は数週間そこからでることも適わなかった。
1942年11月初旬、ソ連軍防御部隊は工場の大半から脱出し、工場地帯の東、ヴォルガ川沿いの数百メートルの地域に後退した。しかしパウルスにはもはや、残りわずかのこの地域を制圧する戦力さえ残っていなかった。この最後の敵地を攻略するために、ヒトラーは第50・第162・第294・第336歩兵師団から工兵隊を引き抜き、第6軍最後の攻勢に参加させた。工兵隊長ヘルベルト・ゼレ大佐に与えられた命令は簡潔だった。「工場およびその周辺のソ連軍拠点を一掃せよ。」
パウルスは手持ち部隊の中で唯一戦闘能力を維持していた師団、ストレッカーの第11軍団から転属していた第100猟兵師団にこの工兵隊を派遣した。
11月11日、攻撃が始まった。
チュイコフはヴォルガ川が凍結し補給が停止したことで厳しい立場にあった。ドイツ軍は工場建物の大半を占領し、ヴォルガ川に到達した部隊もあったが、それはあくまで表面上の勝利だった。
この戦いでドイツ軍が強いられた損害は、もはや回復不能だった。この間にも、追い詰められたソ連軍は第6軍の北方を守るルーマニア軍に対する攻勢準備を始めていた。
事前説明11
ソ連軍襲来
任務指令−1942年11月19日
我が同盟国ルーマニア軍がソ連軍の攻勢が開始されたと報告してきた。その後、ルーマニア軍との連絡は途絶えている。君は北へ向かい、彼らを見つけ出し何がおきているのかを把握するのだ。第22装甲師団が増援に向かうことになるはずだ(注:配置エリアはマップ最下端です)。
史実
1942年11月19日、ドイツ第6軍の側面に対するソ連軍の攻勢−ウラヌス作戦−が開始された。この作戦の目的は、大規模な挟撃行動により第6軍をスターリングラードに包囲することにあった。
ソ連第5戦車軍は、ドイツ第6軍の北側面を防衛していたルーマニア第3軍を突破した。前近代的な装備しかもたなかったルーマニア軍は、勇敢に戦ったが圧倒的な敵戦力の前に崩壊した。崩壊したルーマニア軍はチル川目指して南に潰走した。
ソ連軍攻勢の規模と戦力にドイツ軍は驚嘆した。パウルスは戦力のほとんどを市街地の最終攻勢に向けていたので、北側面の防衛に割ける戦力はなかった。
ヒトラーはしぶしぶ予備戦力から第48装甲軍団をルーマニア軍の支援に投入したが、この増援だけでは不十分だった。第22装甲師団には戦闘可能な戦車はわずか30輌しかなく、残りの戦車はネズミに電気配線をかじられて使い物にならなくなっていた。
事前説明12
任務指令−1942年11月22日
カラーチの北、Kozlovsev村の補給基地を守備しているハンガリー軍部隊が、進撃してくる戦車のエンジン音が聞こえたと報告している。君は次の二つの任務を遂行するのだ。
この補給基地を守りながらイワンがKalachに向かうのを阻止し、さらに移動可能な補給物資は安全地帯に避難させるのだ。
君を支援するために南から工兵部隊が向かっている。また、村の北側には1個戦車小隊が君の指示を待っている。
デザインノート:
このシナリオに登場する馬車隊(Mule Team)、補給物資(Supply Bundle)、弾薬集積所(Ammo Dump)にはいずれも多大な価値があります。補給物資は馬車隊で運ぶことが可能です。補給物資を馬車隊に載せて、退却ヘックスに向かうのが賢い選択でしょう。
また、戦況が不利になればコアユニットも退却ヘックスから脱出することができます。この戦いは負けに終わっても、またの日の戦いに備えてコア部隊を温存できます。
しかしこの戦いに敗北すると、次のシナリオはスターリングラード包囲戦になります。引き分け以上の結果であれば、スターリングラード包囲網の外側で戦うか、内側で戦うかを選択できます。
史実
ドン川ほとりに位置する小都市カラーチ は、ヴォルガ川にかかる狭い橋を横切ってスターリングラードへ続く主要補給ルート上にあった。ドイツ第6軍の補給基地がカラーチ とその周辺の村にあったため、この街こそがソ連軍の主要目標となった。
ソ連軍がカラーチの占領に向かうと、これらの補給基地はソ連軍の手に落ちたが、わずかな補給基地は砲火にさらされながらスターリングラードやその他の安全地帯に避難することができた。
フィリポフ大佐率いる前進分遣隊が、ドイツ軍第22装甲師団のマーキングが施されたままの捕獲ホルヒ兵員輸送車を使ってドン川にかかる橋を急襲すると、カラーチはすぐに陥落した。ちょうどその時、第22装甲師団は第26戦車旅団に橋を渡らせるために通路を開いたところだった。こうして第22装甲師団はエレメンコ率いるソ連軍南方戦線の前進部隊と遭遇し、第6軍は包囲されてしまった。
作成者:Bryan Marauder Mel
事前説明13
第79国営農場
任務指令−1942年12月8日
君の部隊は第79国営農場からロシア野郎を追い出そうとしている第15装甲連隊の支援にあたることになった。この作戦が成功すれば、我が軍がスターリングラードに到達するのを助け、この方面でのソ連軍大攻勢を阻止することになるだろう。
史実
ドイツ第6軍はスターリングラードに包囲された。第57装甲軍団がコーカサス地帯から呼び戻され、フランスから到着した列車を降りたばかりの第6装甲師団とともにスターリングラード救援に向かうことを命じられた。第6装甲師団を支援するのは、第1装甲軍から引き抜かれた第23装甲師団と、中央軍集団から引き抜かれた第17装甲師団だった。
新たに創設されたドン軍集団の司令官フォン・マンシュタイン元帥は、第57装甲師団にスターリングラードを南から攻撃させ、第48装甲軍団と第11装甲師団に西から攻撃させるという冬の嵐作戦を計画した。
しかしソ連軍はこの反攻作戦を遅延・中止させるため、チル川沿いの弱小なドイツ軍拠点を危機に晒しているイタリア第8軍に対し大攻勢を開始した。
1942年12月8日、戦闘が第79国営農場周辺に広がると、このロシアの熊を阻むために冬の嵐作戦に必要とされるドイツ軍戦力は否応なく激しい戦闘に巻き込まれていった。
事前説明14
包囲網のクリスマス
任務指令−1942年12月25日
メリークリスマス、司令官。部下の兵たちに煙草とコニャックを特別配給してくれたまえ。君の部隊はステップにいる第16装甲師団を支援することになる。激しい吹雪の中、ソ連軍戦車のエンジン音が聞こえている。十分注意するのだ!
史実
ドイツ第6軍はスターリングラードに包囲された。ヒトラーはパウルスにヴォルガ攻略を続けることを命じ、包囲軍は要塞となることを宣言した。
第57装甲軍団がコーカサス地帯から呼び戻され、フランスから到着したばかりの第6装甲師団とともに、スターリングラード救援に向かうことを命じられた。第6装甲師団を支援するのは、第1装甲軍と中央軍集団から引き抜かれた第23装甲師団と第17装甲師団だった。
新に編成されたドン軍集団長フォン・マンシュタイン元帥は、第57装甲軍団をスターリングラード南部から、第48装甲軍団と無傷の第11装甲師団が西から攻撃することで「冬の嵐」作戦を達成しようとしていた。
1942年クリスマス前日、包囲された兵士たちには希望が満ちていた。包囲網南部のミシュコヴァ沿いでの戦闘が激しくなるのを見て、救援軍がわずか数マイルまで迫っていることがわかったのだ。
しかし兵士たちは、自分達の最終的な運命をパウルスが決断しようとしていることを知らなかった。
エーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥は、第57装甲軍団の突入とともに発動される作戦暗号「雷鳴」と呼応して、パウルスに南部からの包囲網突破の準備をするよう再三促していた。
しかし、ソ連軍も救援軍の突入をただ黙ってみていたわけではなかった。
12月24日、包囲部隊への空輸を根絶するため、ソ連軍はタチンスカヤ航空基地を占領した。それと同時に第2親衛軍がミシュコヴァのホト軍に対し激しい攻撃を開始し、ホト軍は守勢に追い込まれた。
Verkne-Kumski 周辺での戦闘は、「冬の嵐」作戦最大の激戦となった。この場所でソ連第2親衛軍はスターリングラード救援軍に襲いかかり、救援軍の戦力を弱体化させた。偉大な努力の末、ドイツ第6装甲師団はこの戦いで勝利を収めることができたが、前進を続ける突破力は失われてしまった。
マンシュタインはパウルスに突破を開始するよう説得した。しかしパウルスは、ラステンブルグに呼ばれた時総統に命じられたスターリングラード要塞の防衛という命令にどうしても背くことができなかった。
包囲軍のクリスマス祝いは、コニャック・ウォッカ・馬肉の特別配給と救援軍が間近に迫っていることで盛り上がり、兵士たちはクリスマスの午前中を安堵して過ごした。
しかしソ連軍が防御線の弱点を探しだし一気に包囲軍を殲滅しようとして激しい攻撃を開始すると、この安堵感は吹き飛んだ。
事前説明15
冬の嵐
任務指令−1942年12月16日
我が軍はVerkne-Kumski村周辺で頑強な抵抗にあい、スターリングラードへの進撃は停滞している。前進部隊は村を確保し、強力なロシア野郎の攻撃に晒されている。君がソ連軍の攻撃を阻止しなければ、スターリングラードの運命が決まってしまう!!
史実
ソ連軍はドン河沿いのイタリア第8軍に対して攻撃をかけサターン作戦を開始したが、第57装甲軍団は着実に戦力を増加しつつある敵の抵抗を粉砕しつつ前進した。一方冬の嵐作戦の攻撃第二波となる第48装甲軍団は、ソ連軍の攻撃が始まると、チル川沿い防衛線、タチンスカヤ・ミレロヴォ周辺の飛行場の攻防に巻き込まれることになった。冬の嵐作戦は片腕で戦わなければならなくなったのだ。
新たに到着した第6装甲師団とその先遣隊の160輌の戦車を従えた第57装甲軍団は、スターリングラードに向かいKotelnikovoから北上し、12月14日アクセイ河に到着した。第6装甲師団を支援しているのは、第1装甲軍から引き抜かれた第23装甲師団と、中央軍集団から引き抜かれた第17装甲師団だったが、両師団とも保有戦車は30輌以下だった。
アクセイ河に到着したドイツ軍は、Verkne-Kumski村で強力な抵抗に遭遇した。この戦いは、冬の嵐作戦最大の激戦となった。ソ連第2装甲軍は損害を受けながらも、ドイツ軍の救援戦力を壊滅状態に追い込み、最前線のイタリア軍管区に対する大攻勢の不吉な前兆となった。
事前説明16
最後の一弾まで
任務指令:1943年1月25日
ピトムニク飛行場からの退却は苦痛に満ちたものだったが、なんとか君の部隊は市街地に戻ることができた。退却中、君は多くの凄惨な光景を目撃した。凍死体の山、何百という死体に埋もれたT-34、道路を走る車輌が乗り越えるコブは実に凍死した戦友たちの死体だった。
君は市街北部の赤い十月工場にいる。ここを防衛するのだ。ソ連軍はこの地域に迫りつつある。いかなる犠牲を払っても守り抜け。総統は我々に最後の一弾まで戦い抜けと命じた。君も従うのだ。
君の部隊の多くは弾薬不足あるいは弾薬切れの状態にある。従って一弾ずつ数えながら弾薬を節約するのだ。もし運が良ければ陣地の近くに補給物資が投下されるかもしれない。弾薬が切れてしまったら、部隊の命運は君の判断に委ねる。幸運を祈る、司令官。祖国ドイツよ永遠に!
特別教示
あなたの陣地の中央には退却ヘックスがあります。これを使えば脱出ヘックスと同じようにユニットを戦闘から脱出させることができますが、得点は加算されません。これは部隊に解隊命令を与え、少人数ずつトンネルや地下水道を通って包囲を突破させたことを再現するものです。
史実
一月下旬、ドイツ第6軍の命運は尽きた。かつて栄光を誇ったパウルス軍の戦力にはもはやその面影はなく、最期の運命に向かって容赦なく市街地に追いつめられていった。
事前説明17
最後の一押し
任務指令−1942年12月19日
極寒の中、我が軍の兵士は疲れ消耗している。戦車の中には破壊され修理が必要なものもある。しかし、最後の一押しが必要なのだ。我々は凍結したミシュコヴァ川を渡り、スターリングラードに向かわなければならない。さもなければスターリングラードは第6軍の墓場になるだろう!この最後の攻勢を支援するため、レニングラード戦線から4輌のティーガー戦車が到着している。
注:
4輌のティーガー戦車の存在は「歴史のIF」を再現するためのものです。もしも当時でも希少なティーガー小隊が、冬の嵐作戦を支援するためにレニングラードから駆けつけ、12月18日に行われたスターリングラードへの最後の攻勢に間に合っていたらどうなったか?
この戦いに負けるか引き分ければ、キャンペーンは終了です。この戦いに勝てば、最後の戦闘に向かうことができます。
史実
ソ連軍はドン河沿いのイタリア第8軍に対して攻撃をかけサターン作戦を開始したが、第57装甲軍団は着実に戦力を増加しつつある敵の抵抗を粉砕しつつ前進した。 一方冬の嵐作戦の攻撃第二波となる第48装甲軍団は、ソ連軍の攻撃が始まると、チル川沿い防衛線、タチンスカヤ・ミレロヴォ周辺の飛行場の攻防に巻き込まれることになった。 冬の嵐作戦は片腕で戦わなければならなくなったのだ。
第6装甲師団はVerkhne-Kumskiでアクサイ川の橋頭堡を突破することに成功し、ミシュコヴァ川に向かうため北上したが、ここでマリノフスキーの第2親衛軍の激しい反攻に遭遇した。
チル川沿いの戦況は危機的状況になり、マンシュタインは第6装甲師団をホト軍からチル川沿いのホリト軍支隊に送らなければならなくなった。ホトの手元に残ったのは弱体化した第17・第23装甲師団だけで、必然的に防戦一方となり、事実上冬の嵐作戦は終結を迎えた。こうして第6軍の命運は決した。
事前説明18
ヴォロネジ侵攻
任務指令−1942年6月29日
司令官、君の部隊は第24装甲師団と第4装甲軍の先鋒になるのだ。東へ向かい、立ちふさがる全ての敵を粉砕せよ。時間が何より重要な要素だ。
歩兵部隊の輸送車輌はマップ西端に待機している(マップ下部)。迅速かつ大胆に行動せよ。我々の攻勢により、ソ連第40軍は崩壊寸前になっている。Jefrossinowkaの村を確保した後、東側の目標を攻略せよ。
史実
ブラウ作戦発動初期、ドイツ軍は快進撃をみせ立ちはだかる敵をことごとく粉砕した。それはあたかもバルバロッサ作戦初期の再現であり、恐ろしい厳冬期への懸念は消えうせた。
ブラウ作戦のこの段階では、ヴォロネジ西部で全ソ連軍を包囲殲滅する必要があった。1942年6月29日、第4装甲軍と第24装甲師団が攻勢を開始し、ソ連第40軍を簡単に撃退した。ソ連軍の敗因は、第40軍の幕僚達が指揮権を放棄して一斉に逃げ出したことによるものであった。
あなたはコア戦力をマップ下方(西側半分)に配置し、東に進撃して遭遇する全ての敵を粉砕することになります。この戦いは、ドイツ軍がソ連軍を蹂躙したブラウ作戦初期の状況を描いています。
事前説明19
戦車戦
任務−1942年7月2日
デザインノート:
キャンペーン中で唯一、このシナリオでは歩兵部隊(サポートポイントで購入するものも含む)のために輸送車輌を購入しなければなりません。
司令官、イワンは大量の装甲部隊と歩兵部隊で北面を攻撃している。何としてでもこの攻撃を阻止しなければならない。君の部隊を移動させ、この地域に対する我々の反攻作戦を支援するのだ。まず君は輸送車輌保管庫に行って歩兵部隊用の輸送手段を確保した後に、攻撃計画を決定するのだ。
君には次の3つの選択肢がある。
@A地区にいる北部集団に参加する
AB地区で反攻する西部・中部方面戦力を援護する
B南方に戦線を形成し、C地区からイワン後方を攻撃する
どれを選択するかは君次第だ。幸運を祈る!
史実
7月2日、この日までヴォロネジ方面でのドイツ軍の攻勢は順調に進んでいた。ドイツ軍の攻撃目標はモスクワだと確信していたスターリンは、オリョル戦線から歩兵・戦車軍を新たに引き抜き、ドイツ第2軍・第4装甲軍の北面を攻撃させた。
7月2日、大量のソ連軍戦車部隊がこれらのドイツ軍に対する攻撃を開始した。第24、第9、第11装甲師団は防戦一方とならざるをえなかった。広大なステップでの一大戦車戦が勃発した。何としてでもソ連軍を止めなければならない。
事前説明20
このシナリオでは戦闘はなく、2つの選択肢のどちらかを選ぶことになります。冬の嵐作戦かスターリングラード包囲網の内部に留まるかを、増援部隊の3号戦車を使って選択してください。
この分岐シナリオの長さは1ターンです。マップ上にはソ連軍ユニットはありません。あなたが進みたい選択肢を選んでください。
事前説明21
廃墟の戦い
任務指令−1942年10月
司令官、我々はいよいよジェルジンスキー・トラクター工場を完全制圧し、その背後にあるヴォルガ川に到達しようとしている。この任務を達成するために、君が配属されている第24装甲師団は、新たに第389歩兵師団の支援を受けることになった。
敵の第37親衛師団は続々と増援をうけ防御拠点を固めている。下水道網を利用して我が軍の背後に潜入するという敵の戦術により失った重要拠点を、我々は取り戻さねばならない。
我々の攻撃をキルゾーンに誘い込む敵の戦術により我が軍の歩兵の損害は夥しい数に上っている。君はこれに対抗する新たな戦術を開発しなければならないだろう。幸運を祈る。
史実
10月中旬までに、ドイツ軍はトラクター工場の約半分を手中に収め、ソ連軍第112狙撃師団は廃墟となった工場の中で崩壊しつつあった。しかし残りわずかな建物を制圧しようとする過程で、第24装甲師団と第94歩兵師団の攻撃は大出血を強いられてしまった。
新たな攻撃に必要な歩兵部隊を揃えるため、パウルスはドン・ヴォルガ川間の北側面からジーネッケ将軍の第389歩兵師団を市街地に移動させ、工場地帯を攻撃するザイドリッツの第51軍団の支援に当てた。
この時チュイコフは、崩壊間近の第112狙撃師団の増援にZholudev将軍のエリート部隊第37親衛狙撃師団を送っていた。
Design by Brent Richards
事前説明22
地獄の高地
任務指令−1942年9月18日
ソ連軍はママエフ・クルガン高地の片側を、反対側は我が軍が占拠している。再び第71・第295歩兵師団の攻撃を支援し、高地を奪取するのだ。我が軍は夜襲をおこなう。
君の戦闘団は歩兵輸送車輌のある増援地域に配置しろ。火砲は用意されている。
史実:
ママエフ・クルガン高地の戦いは9月13日に始まり、スターリングラード戦が終結する1943年2月まで続いた。その間、戦闘は常に続いており、両陣営とも高地を完全に支配したことはなかった。かつてタタール人の墓地であったこの高地は、今ではこの高地を争うドイツ兵とソ連兵の墓標になりつつあった。
9月18日の時点では、両軍が高地の両斜面を支配下においていた。4日間に渡り山頂の支配権は絶え間なく入れ替わり、高地全体を確保しようとする両軍の戦力は互いに壊滅寸前になった。雨が降る真夜中の暗闇の中でも火砲の閃光は轟き、尾根を巡る戦闘は続いた。ロジムツェフ将軍の第42親衛連隊は増強され、山頂に突撃する準備を整えていた。
事前説明23
反攻!
任務指令−1942年10月20日
君の部隊は工場地帯の戦闘で激しい損害を受けたので、戦力を補充するため、ドン−ヴォルガ間のステップ地帯にいるストレッカー将軍の第11軍団に予備機動戦力として転属された。しかし、イワンはそう楽をさせてくれないようだ。
司令官、昨日のソ連軍の攻撃で第376師団が北側面の陣地から退却してしまった。君の任務は反攻を開始して戦線を修復することだ。しかしイワンには塹壕を掘る時間が丸一日あったので、やつらを追い払うのは簡単ではないだろう。輸送手段は支給され、第8航空軍団のスツーカが君の部隊を援護する。
背景
市街戦のさなかにも、ソ連軍はドン川沿いにドイツ第6軍の北側面に繰り返し攻撃を加えることで、第62軍にかかる圧力を軽減しようと試みていた。この試みは成功し、パウルスは戦線を修復するため交替戦力を配置しなければならなかった。
ドン川沿いの戦線からドイツ軍が撤退し、交替のルーマニア軍が引き継ぐ間に、ソ連軍はセラフィモビッチとクレツカヤで小規模な橋頭堡を数箇所に構築し、急速に拡大していた。
By Brent Grenadier Richards
事前説明24
任務指令−1942年7月26日
現在より君の戦闘団は第6軍に編入される。第6軍は現在ソ連第62・64軍の防御線を突破するため攻撃中である。まず輸送車輌が待機しているB地区にコア戦力を配置せよ。
A・B・C地区の全指揮権は君にある。支援戦力を慎重に選択し、バランスのとれた諸兵科連合戦力を目指すのだ。現地ではすでに砲兵×2個中隊、FO×1、2号F型戦車×3個分隊、4号F型戦車×2個分隊が待機しており、君の命令を待っている。
史実
1942年7月のブラウ作戦は、ドイツ第6軍の兵士にとってみれば、かつてソ連軍を蹂躙した平穏なバルバロッサ作戦初期段階のようなものだった。7月1日、北から攻撃するドイツ第2軍と南から攻撃する第6軍が、Star-Oskel市街で合流したが、退却するソ連軍の大部分を包囲することはできなかった。一方、第4装甲軍はヴォロネジに向かい、7月9日までにはドイツ軍の手に陥ちた。このように、ブラウ作戦の初期段階は実に順調な経過をみせていた。
次の段階のブラウII作戦により、チル川近くの「ドン川屈曲部」として知られる地形にソ連第62・第63・第64軍を包囲するため第6軍が南東方面へ移動を開始した。その間、第4装甲軍は南に移動しソ連3個軍を包囲する予定だった。
1942年7月19日までに第6軍はソ連第62・第64軍と接触し、7月23日に攻撃を開始した。7月26日に行われた総攻撃で、第6軍はソ連軍防御線を突破した。ドイツ軍先遣隊は大規模なパニックに陥ったソ連軍後方部隊を追撃したが、ソ連軍の大半はまたもや包囲網から脱出することに成功した。
本シナリオは、多くの重戦車を擁するソ連軍を撃退し、戦線を突破する契機となった7月26日に行われた第6軍の攻撃に焦点をあてています。
By Marauder Mel
事前説明25
終わりの始まり
任務指令
1月10日、スターリングラードに包囲されて48日目を迎えた静かな1月の朝。部下の兵士たちは薄い代用コーヒーを飲み、腐った黒パンを食べるために目を覚ます。
新年を迎えて以来、君の戦闘団はマリノフカの鼻として知られる包囲網西端のカルポフカ付近に配置されている。君に与えられた命令は、この北側の顔にあたる位置にあるオーストリア第44歩兵師団を援護することだ。
北西部に大火砲の不吉な砲撃音が響き渡るのを聞いたのはちょうど午前8時過ぎだった。それは包囲網を一挙に潰してしまおうとするソ連軍の攻勢の始まりだった。君への命令はその直後に下されたのだ。
オーストリア部隊を支援し、できるだけ長い間その高地を防衛するのだ。君はA・B・Cの3つの地区のうち一つに配置できる。A地区には輸送車両数台が待っている。
史実
「冬の嵐」作戦の阻止に成功したものの包囲軍の粉砕に失敗した赤軍は、このスターリングラード包囲軍の最終処分作戦を計画した。コンスタンティン・ロコソフスキー将軍は"Koltso(指輪)"という暗号名を与えられた作戦計画の立案と実行を命じられた。ロコソフスキーはパウルスに第6軍の名誉ある降伏を求めた最後通牒を突きつけたが、ヒトラーの命令により却下された。
1943年1月10日、7000門の火砲の砲撃により"Koltso"作戦が開始された。計画は西部から市街地に突入するという単純なもので、最初の目標は、ドイツ第3自動車化師団と第44歩兵師団が防衛している包囲網西端突出部「マリノフカの鼻」の破壊だった。
By Brent Grenadier Richards
事前説明26
ピトムニクの最期
任務指令:1943年1月15日
司令官、一大事だ。敵はピトムニク飛行場の占領を目論んでいる。もしピトムニクが落ちれば、我々は補給物資を入手する手段と負傷兵を後送する手段を失うことになる。現在飛行場にある数機は滑走路が修復され離陸できるようになるのを待っている。さらに多くの「Juおばさん」(訳注:Ju-52輸送機の愛称)がこちらに向かっているが、イワンが飛行場を支配してしまえばそれらは着陸できなくなってしまう。飛行場が砲撃に晒され続けている今でさえ十分悪い状態なのだ。
君はできるだけ長い間ここを守りきるのだ。迫撃砲と火砲は慎重に使い、敵を十分引きつけるまで発砲してはいけない。弾薬は節約せよ。幸運を祈る。
史実
1月14日、ソ連軍の攻勢は包囲網西端のマリノフカとロソコハ渓谷を一掃した。パウルスはソ連軍の猛攻を遅らせることには成功したが、そのために最後の予備戦力を使い果たしてしまった。兵士たちはこれ以上戦闘を続行できないほど完全に消耗し、弾薬はほとんど尽き、士気も崩壊しつつあった。
ソ連軍の圧倒的戦力は容赦なくピトムニク飛行場に迫っていた。ドイツ空軍の地上要員と第9高射砲師団の兵士たちは、滑走路から瓦礫を撤去し、飛行場に乗り込んでくる戦車に撃退するため懸命に戦った。地上には炎上する戦車やJu-52、Me-109の残骸が散乱し、飛行場に着陸するのは非常に危険な状態になった。
飛行場は何日もの間後送を待ち続けている負傷兵で混雑し、その多くが戦闘に晒されてすでに死亡していた。これらの死体は凍り付いた死体の山にさらに積み上げられていった。ピトムニクに通じる道路は、包囲網から脱出しようとする負傷兵と脱走兵で一杯だった。
翌日、ソ連軍は飛行場を占領した。ピトムニク飛行場に残っていた14機の戦闘機は、砲火に晒されながら、包囲網最後の飛行場グムラクへ向けて離陸した。
By Brent Grenadier Richards
事前説明27
ネズミ戦
任務指令:1942年9月22日
第71歩兵師団の1個大隊がヴォルガ河畔で分断されている。君の任務は大隊との接触を回復し、敵のいる河畔南北を一掃して市街中心部の抵抗拠点を殲滅することだ。
イワンが市街中心部に増援部隊を船で送り込むのを阻止するためにも川岸の支配権が必要だ。スターリングラード全域を完全に制圧するのだ。しかし赤の広場周辺を無防備な状態にしてはいけない。イワンはこの地域を奪還して鉄道駅にまで向かおうとしている。
主要戦闘地域は君の判断に任せる。なお君の部隊が市街を移動するために輸送車輌が提供される。
史実
チュイコフ将軍はこの期に及んでもロジムツェフの第13親衛狙撃師団に増援部隊を送り続けていた。同師団は9月14日にスターリングラードに到着して以来、わずか1週間の戦闘で崩壊寸前になっていた。
この間、ロジムツェフの親衛部隊は鉄道駅東方のヴォルガ河畔ドイツ軍陣地を突破することに成功していた。ソ連軍守備隊はこれまでにないほど頑強な抵抗を示し、中央鉄道駅の支配権はわずか1日で5回も交代し、この期間だけで13回も交代していた。
パウルスは第51軍団の北部に対する攻撃を中止せざるを得ず、ザイトリッツに市街中心部の完全な掃討を命じた。ドイツ軍の損害は急速に拡大し、たった1週間の市街戦で全ての大隊が中隊規模にまで戦力低下した。
しかしソ連軍は一歩も退かなかった。ソ連兵は下水道網を利用してドイツ軍後方に潜入し、補給トラックや部隊司令部を急襲した。ドイツ軍は1区画の掃討を完了してから次の区画に進んでいったが、ソ連兵が掃討済み区画に潜入してドイツ軍の背後から機関銃を撃つと、ドイツ軍は再び最初から掃討をやり直さなければならなかった。このような再掃討をやり直すまで、中隊・あるいは1個大隊まるごとが数時間〜数日間連絡を遮断されることもあった。ヴォルガ川東岸からはソ連軍砲兵やカチューシャが絶え間なくドイツ軍陣地に砲弾を降らせ、徐々にドイツ兵の命を奪っていった。
この種の戦闘に不慣れだったドイツ軍は、この戦闘を"Rattenkreig"、「ネズミ戦」と命名した。絶え間なくヴォルガ川を渡ってくるソ連軍増援部隊の反攻に対処しなければならなくなると、ドイツ軍の損害は急増した。ドイツ空軍と火砲はこれら多くの渡し船を沈めたが、市街地のソ連兵を絶滅させるには至らなかった。
数年前のキエフ戦を戦った古参兵を除けば、ほとんどのドイツ兵にとってこんな超接近戦は初めての経験だった。第6軍がキエフの市街戦で膨大な損害を被ると、ヒトラーは今後ソ連の都市は直接攻撃せず、降伏するまで包囲して兵糧攻めにすることを誓った。しかしその1年後、第6軍は再び苦しい市街戦に巻き込まれることになった。しかも今度の敵は以前よりさらに狡猾かつ残虐になっていたのだ。
By Brent Grenadier Richards
事前説明28
雷鳴
任務指令−1942年12月20日
司令官、君の部隊が先鋒を務めるのだ。第6軍が我々の北側への脱出を開始したことを示す暗号"Thunderclap(雷鳴)"が発せられた。第6軍は18日深夜から移動を開始しており、先遣隊はすでに我々から数キロの地点に迫っている。君は敵陣を突破し、可能な限りパウルス軍の兵士を救出するのだ。
君に与えられた任務は、村落およびそれに続く道路を一掃し、北部からやってくる第6軍が鉄道路線に沿って南下・脱出可能な状態を作り出すことだ。
史実
これはもしもドイツ軍が包囲された第6軍と連絡が取れていたら・・を描く仮想シナリオです。第6軍のユニットには多大な価値が与えられているので不必要な戦闘でこれらを失うことは避け、速やかに南方に脱出させてください。
"Thunderclap"は、南からスターリングラードに迫るフォン・マンシュタイン元帥の戦力と連携し、スターリングラード包囲網を突破する作戦に与えられた暗号名だった。パウルスもマンシュタインも、スターリングラードを維持することよりも、できるだけ多くの兵員を脱出させることを優先すると決意していたため、多少の犠牲は省みないことも暗黙の了解となっていた。
フォン・マンシュタイン元帥は、第6軍の大半を安全に救出するのに必要最小限の幅をもった狭い回廊を確保する方針だった。パウルスは突破に備えて十分な燃料を蓄えていた。ヒトラーの死守命令を恐れたパウルスは、戦力の半数だけを突破させ、彼自身と残りの半数はヒトラーの指示に従ってスターリングラードに留まることを決意した。
12月19日、パウルスは移動可能な部隊を全て集結させ、突破命令を発した。この突破攻撃は成功した。20日になると早くも燃料は底を尽きかけたが、スターリングラード包囲網の南15マイルの地点に迫っているフォン・マンシュタイン元帥と合流するため必死で前進を続けた。